石巻へ(6)からの続き
辺りも暗くなり、工場でしょうか、遠くに灯りが見えます。
駅に向けて再び丘をのぼると、家々には普通に灯りがともっています。
駅前商店街に戻ってきました。
石巻駅に到着。
時間は午後6時半です。
左手側から、にぎやかな音が聞こえます。
帰りの電車は6時58分発。
少し時間があったので、のぞいてみることにしました。
「石巻駅前にぎわい広場」を舞台にこの日(2012年3月10日)開催されていたのは「みんなにありがとう 鎮魂の夕べ」。
ステージには、女性シンガーとギターが1人ずつ。
到着時にはトーク中でした。
会場にはテントブースも。
会場のリクエストに応えた曲の歌い出しは「お気に入りの唄~♪」。
そう、歌手の正体は杏里でした。
偶然にも生「オリビアを聴きながら」を聴くことができました。
彼女が抱いているのは、震災でひとりぼっちになってしまった女の子だとのこと…。
女の子は、泣きじゃくっていたようにも見えました。
歌の途中でしたが、時間がないので駅に向かいました。
あとになってチラシを見直すと、ほかにも上田正樹、吉元由美(詩)、神取忍らが出演し、南こうせつや平原綾香らがビデオメッセージを寄せていました。
もう少し滞在できれば良かったのですが、残念でした。
駅前立地の元ショッピングセンターに石巻市役所が入っており、その正面には仮面ライダーV3が毅然と立っています。
まるで「石巻市はわたしが守る」と言っているかのようでした。
さて、コラムにも書きましたが、被災地(石巻市)を実際に歩いてみて、ハッキリとわかったことがあります。
岸壁から歩いて45分もかかる距離を津波が駆け上がり襲うなどとても考えられないし、その距離を歩いた後だからこそ、とても信じられません。
「想定外」との言葉はタブーですが、それでも「想定外」だったことでしょう。
被災の様子を目の当たりにしてみて、我が身に置き換えることなどとてもできないし、ただただ「切ない」です。
(終わり)
辺りも暗くなり、工場でしょうか、遠くに灯りが見えます。
駅に向けて再び丘をのぼると、家々には普通に灯りがともっています。
駅前商店街に戻ってきました。
石巻駅に到着。
時間は午後6時半です。
左手側から、にぎやかな音が聞こえます。
帰りの電車は6時58分発。
少し時間があったので、のぞいてみることにしました。
「石巻駅前にぎわい広場」を舞台にこの日(2012年3月10日)開催されていたのは「みんなにありがとう 鎮魂の夕べ」。
ステージには、女性シンガーとギターが1人ずつ。
到着時にはトーク中でした。
会場にはテントブースも。
会場のリクエストに応えた曲の歌い出しは「お気に入りの唄~♪」。
そう、歌手の正体は杏里でした。
偶然にも生「オリビアを聴きながら」を聴くことができました。
彼女が抱いているのは、震災でひとりぼっちになってしまった女の子だとのこと…。
女の子は、泣きじゃくっていたようにも見えました。
歌の途中でしたが、時間がないので駅に向かいました。
あとになってチラシを見直すと、ほかにも上田正樹、吉元由美(詩)、神取忍らが出演し、南こうせつや平原綾香らがビデオメッセージを寄せていました。
もう少し滞在できれば良かったのですが、残念でした。
駅前立地の元ショッピングセンターに石巻市役所が入っており、その正面には仮面ライダーV3が毅然と立っています。
まるで「石巻市はわたしが守る」と言っているかのようでした。
さて、コラムにも書きましたが、被災地(石巻市)を実際に歩いてみて、ハッキリとわかったことがあります。
岸壁から歩いて45分もかかる距離を津波が駆け上がり襲うなどとても考えられないし、その距離を歩いた後だからこそ、とても信じられません。
「想定外」との言葉はタブーですが、それでも「想定外」だったことでしょう。
被災の様子を目の当たりにしてみて、我が身に置き換えることなどとてもできないし、ただただ「切ない」です。
(終わり)
石巻へ(5)からの続き
ようやく、岸壁までやってきました。
時間は、午後5時45分。
石巻駅からなんと45分、門脇小からでも15分かかっています。
岸壁には、子どもたちによるものだろうと思われる「壁画大作戦」が描かれていました。
2005(平成17)年10月16日と、日付が記してあります。
コラム「稜線」にも書きましたが、海と「仲良し」だったのに、描いた何人かが犠牲になったのかもしれないと思うと、とてもつらくなりました。
この日のここの海はとても穏やかで、あのような津波が起きたとは、とても信じられません。
5分程度ここで過ごし、再度石巻駅に向けて歩き出しました。
↑ 正面奥に門脇小が見えます
帰りは、違う道を歩いてみました。
すると、「がんばろう!石巻」と書かれたモニュメントに遭遇。
献花台にはいくつも花が備えられており、わたしも拝みました。
離れると、天に向けて書かれた「復興するぞ!」の文字が読み取れました。
石巻へ(7)へ続く
ようやく、岸壁までやってきました。
時間は、午後5時45分。
石巻駅からなんと45分、門脇小からでも15分かかっています。
岸壁には、子どもたちによるものだろうと思われる「壁画大作戦」が描かれていました。
2005(平成17)年10月16日と、日付が記してあります。
コラム「稜線」にも書きましたが、海と「仲良し」だったのに、描いた何人かが犠牲になったのかもしれないと思うと、とてもつらくなりました。
この日のここの海はとても穏やかで、あのような津波が起きたとは、とても信じられません。
5分程度ここで過ごし、再度石巻駅に向けて歩き出しました。
↑ 正面奥に門脇小が見えます
帰りは、違う道を歩いてみました。
すると、「がんばろう!石巻」と書かれたモニュメントに遭遇。
献花台にはいくつも花が備えられており、わたしも拝みました。
離れると、天に向けて書かれた「復興するぞ!」の文字が読み取れました。
石巻へ(7)へ続く
石巻へ(4)からの続き
日和山公園からは、テレビ画面を通じて見ていた、ほぼ何もない光景が広がっていました…。
言葉が出てきません…。
ショックを受けながら丘を下りきり、左に顔を向けると、燃え尽きて廃虚となった市立門脇小の姿が目に飛び込んできました。
あとで知ったのですが、この門脇小では、幸いにもほとんどの児童が高台に避難し、難を逃れることができたとのこと。
不幸中の幸いでした。
この時点で、駅からの所要時間は約30分。
ここからは、海岸線を目指してただ歩いていきました。
廃車になったクルマが、うずたかく積み重ねられています。
ガレキの山も、延々と続いていました。
石巻へ(6)へ続く
日和山公園からは、テレビ画面を通じて見ていた、ほぼ何もない光景が広がっていました…。
言葉が出てきません…。
ショックを受けながら丘を下りきり、左に顔を向けると、燃え尽きて廃虚となった市立門脇小の姿が目に飛び込んできました。
あとで知ったのですが、この門脇小では、幸いにもほとんどの児童が高台に避難し、難を逃れることができたとのこと。
不幸中の幸いでした。
この時点で、駅からの所要時間は約30分。
ここからは、海岸線を目指してただ歩いていきました。
廃車になったクルマが、うずたかく積み重ねられています。
ガレキの山も、延々と続いていました。
石巻へ(6)へ続く
石巻へ(3)からの続き
石巻駅の改札を出たのは、ちょうど午後5時ごろ。
駅のコインロッカーに荷物を預け、小さなショルダーバッグとカメラだけを持って歩き始めました。
↑ ロボコンの絵が描いてあるロッカーを選択。他のキャラクターもありましたよ
駅前商店街には、石ノ森章太郎が生みだしたキャラクターが、いろんな場所に立ってます。
われわれ40歳代半ば世代が小学生のころハマッた、戦隊モノ元祖・ゴレンジャーのリーダー・アカレンジャーも凛々しい。
閉まっているお店ばかりの商店街を進んでいくと、とある店舗の軒先に、震災当時の写真がいくつも貼り付けてありました。
現在は、このようにきれいに片付けられてます。
しかしながらそれぞれの店舗には、ダメージを受けた跡がまだ残っていました。
“臨時”銭湯も、まだ営業中のようです。
商店街を抜けると、日和山公園へと続く丘を登っていきます。
途中には、仮設住宅の方向を示す案内板も。
高校の通用口には「がんばっぺ石巻」のステッカーが貼られてます。
石巻へ(5)に続く
石巻駅の改札を出たのは、ちょうど午後5時ごろ。
駅のコインロッカーに荷物を預け、小さなショルダーバッグとカメラだけを持って歩き始めました。
↑ ロボコンの絵が描いてあるロッカーを選択。他のキャラクターもありましたよ
駅前商店街には、石ノ森章太郎が生みだしたキャラクターが、いろんな場所に立ってます。
われわれ40歳代半ば世代が小学生のころハマッた、戦隊モノ元祖・ゴレンジャーのリーダー・アカレンジャーも凛々しい。
閉まっているお店ばかりの商店街を進んでいくと、とある店舗の軒先に、震災当時の写真がいくつも貼り付けてありました。
現在は、このようにきれいに片付けられてます。
しかしながらそれぞれの店舗には、ダメージを受けた跡がまだ残っていました。
“臨時”銭湯も、まだ営業中のようです。
商店街を抜けると、日和山公園へと続く丘を登っていきます。
途中には、仮設住宅の方向を示す案内板も。
高校の通用口には「がんばっぺ石巻」のステッカーが貼られてます。
石巻へ(5)に続く
石巻へ(2)からの続き
バスが20分程度走ると、松島付近の表情から一変。
震災によるつめあとが、いたるところで目につくようになりました。
バスには50分程度乗車し、矢本駅に到着。
ここから石巻までは、電車ではなく気動車での運行が再開されています。
「奥の細道号」は、15分ほどで石巻駅に着きました。
石巻市は、故・石ノ森章太郎とコラボしたマンガでの町おこしで有名な市でもあります。
改札の手前では、石ノ森章太郎による代表的なキャラクター、仮面ライダーとサイボーグ009(と001と003)とがお出迎え。
石巻へ(4)に続く
バスが20分程度走ると、松島付近の表情から一変。
震災によるつめあとが、いたるところで目につくようになりました。
バスには50分程度乗車し、矢本駅に到着。
ここから石巻までは、電車ではなく気動車での運行が再開されています。
「奥の細道号」は、15分ほどで石巻駅に着きました。
石巻市は、故・石ノ森章太郎とコラボしたマンガでの町おこしで有名な市でもあります。
改札の手前では、石ノ森章太郎による代表的なキャラクター、仮面ライダーとサイボーグ009(と001と003)とがお出迎え。
石巻へ(4)に続く
石巻へ(1)からの続き
仙台駅に到着したら、仙石線(せんせきせん)に乗り換え、石巻駅を目指します。
14時58分発の快速に乗車。
目的地が高城町となっているのは、そこから先がまだ不通区間だから。
不通区間には、代行バスが走ってます。
↑ 地デジ化完全移行のまだ完了していない被災地では、「地デジカ」がまだ活躍中です
代行バスには、終点の一つ手前、松島海岸駅で乗り換えます。
ここは日本三景の一つ、松島への最寄り駅。
バスの車窓からざっと見たところ、この辺りの被害はまだ軽そうに思えました。
(被災されたことは知っています。あくまでも比較論ですから、お気を悪くなさらないでください)
石巻へ(3)に続く
仙台駅に到着したら、仙石線(せんせきせん)に乗り換え、石巻駅を目指します。
14時58分発の快速に乗車。
目的地が高城町となっているのは、そこから先がまだ不通区間だから。
不通区間には、代行バスが走ってます。
↑ 地デジ化完全移行のまだ完了していない被災地では、「地デジカ」がまだ活躍中です
代行バスには、終点の一つ手前、松島海岸駅で乗り換えます。
ここは日本三景の一つ、松島への最寄り駅。
バスの車窓からざっと見たところ、この辺りの被害はまだ軽そうに思えました。
(被災されたことは知っています。あくまでも比較論ですから、お気を悪くなさらないでください)
石巻へ(3)に続く
前回の記事で触れたように、震災後初めて被災地へ、10日・11日に1人で行ってきました。
以前から、この目で一度は見ておかないと、子どもたちに教訓として残せない、とずっと思っていました。
すでに1年が経ってしまいましたが、ようやくその機会を得ることができました。
どこに行こうか迷ったのですが、公共交通機関を利用して足を運べるところは、まだ限られています。
そこで、なんとか行けそうな石巻市を選びました。
とはいっても、初めて訪れる場所です。
土地勘は全くないし、詳しい被害状況もわかりません。
と不安を感じていたら、ちょうどその日の読売新聞の朝刊に、石巻市の甚大な被害状況を解説した記事が掲載されていました。
ガイド代わりに、スマホで写真に収めて、いつでも読めるようにしました。
まずは飛行機で東京まで。
最新鋭のボーイング787型機に搭乗。
機内は広く、とても快適でした。
羽田空港到着後、大急ぎでモノレールに乗って浜松町へ。
駅に着いたら、ネット予約していた新幹線指定席券を「みどりの窓口」で購入です。
山手線で東京駅まで移動したら、いよいよ東北新幹線に乗車。
東北新幹線に乗るのは、実に20年ぶりくらい。
まだバブルの余韻のころ、東京から「新幹線スキー」で滑りに行ったのが最後でした。
↑ 行きで乗ったのは秋田新幹線「こまち」タイプ
↑ 「がんばろう日本! がんばろう東北!」
↑ 車窓から見る風景は、まだ雪が残っています
↑ 新幹線室内の様子
石巻へ(2)に続く
以前から、この目で一度は見ておかないと、子どもたちに教訓として残せない、とずっと思っていました。
すでに1年が経ってしまいましたが、ようやくその機会を得ることができました。
どこに行こうか迷ったのですが、公共交通機関を利用して足を運べるところは、まだ限られています。
そこで、なんとか行けそうな石巻市を選びました。
とはいっても、初めて訪れる場所です。
土地勘は全くないし、詳しい被害状況もわかりません。
と不安を感じていたら、ちょうどその日の読売新聞の朝刊に、石巻市の甚大な被害状況を解説した記事が掲載されていました。
ガイド代わりに、スマホで写真に収めて、いつでも読めるようにしました。
まずは飛行機で東京まで。
最新鋭のボーイング787型機に搭乗。
機内は広く、とても快適でした。
羽田空港到着後、大急ぎでモノレールに乗って浜松町へ。
駅に着いたら、ネット予約していた新幹線指定席券を「みどりの窓口」で購入です。
山手線で東京駅まで移動したら、いよいよ東北新幹線に乗車。
東北新幹線に乗るのは、実に20年ぶりくらい。
まだバブルの余韻のころ、東京から「新幹線スキー」で滑りに行ったのが最後でした。
↑ 行きで乗ったのは秋田新幹線「こまち」タイプ
↑ 「がんばろう日本! がんばろう東北!」
↑ 車窓から見る風景は、まだ雪が残っています
↑ 新幹線室内の様子
石巻へ(2)に続く