今年3月、ビールの空き缶を詰めたビニール袋が、近所の側溝の柵にくくりつけられていました。
※この記事を参照
そして先日、またもや同じ場所で同様の行為が。
今度はひもではなく針金を使って。
地下道での放置、そしてこの場所でのこの行為。
ビニール袋に入っているのは、決まってキリンビールの「のどごし生」の空き缶。
犯人は同一人物と見て、まず間違いないでしょう。
近所にこんな人がいると思うと、何をされるかわからず、コワイです。
地図はこちら
※この記事を参照
そして先日、またもや同じ場所で同様の行為が。
今度はひもではなく針金を使って。
地下道での放置、そしてこの場所でのこの行為。
ビニール袋に入っているのは、決まってキリンビールの「のどごし生」の空き缶。
犯人は同一人物と見て、まず間違いないでしょう。
近所にこんな人がいると思うと、何をされるかわからず、コワイです。
地図はこちら
ソウルから南へクルマで1時間弱の水原(スウォン)。
6日の午前中に初めて行きました。
ここはカルビで有名な街なんだけど、食べることはかないませんでした。
残念
見学したのは、世界文化遺産にも登録されている「華城」(ファソン)。
まるで万里の長城のような城郭が市街をぐるりと囲んでいます。
その要所要所に門、見張り台、砲台、指揮所、訓練所などが41カ所も配置。
全長はなんと5.7キロにも及びます
↑ 入場した蒼竜門
↑ 退場した華虹門
↑ 全体図
6日の午前中に初めて行きました。
ここはカルビで有名な街なんだけど、食べることはかないませんでした。
残念
見学したのは、世界文化遺産にも登録されている「華城」(ファソン)。
まるで万里の長城のような城郭が市街をぐるりと囲んでいます。
その要所要所に門、見張り台、砲台、指揮所、訓練所などが41カ所も配置。
全長はなんと5.7キロにも及びます
↑ 入場した蒼竜門
↑ 退場した華虹門
↑ 全体図
本日、サンデー山口の「稜線」というコーナーに掲載したコラム。
イタリア・フィレンツェの世界遺産登録地区にある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」や、ドイツ・ベルリンの壁などへの落書きが大きな問題となっている。
ただ、これは氷山の一角にすぎず、日本人による落書きは世界中の文化遺産に残されている。
とはいえ、数としてはそれ以外の文字の方が圧倒的に多い。
そして、日本における落書き発覚者への厳しい処分は、海外では驚きを持って伝えられている。
その背景には、「落書きも年輪を重ねれば文化」だととらえるのか、「落書きは傷つける行為」だととらえるのか、考え方の違いが根底にあるように感じる。
日本では後者がスタンダードなのだが、前者のとらえ方をする国も多いのだろう。
ただ、間違いないのは、歴史的建造物はその維持・修繕に多大な費用がかかっており、落書き行為はその負担をいっそう増加させるということ。
さらには、取り返しのつかない「破壊」という結果にもつながりかねない。
秋芳洞での落書きなどは、まさに破壊行為といえるだろう。
観光地に残されたたくさんの落書きを見て「みながやってるなら自分も…」と思ったなら、それは大きな間違い。
ほとんどの人は落書きなどしていないのだから。
この問題に対するマスコミ報道、ただ「落書きはいかん!」という一方的な論調が、あまりにも多すぎたように感じます。
また、日本人による落書き、今の社会を反映してなのか、「仲良くしようね」とか薄っぺらな内容が多すぎ。
どうしても書きたいのなら(自然破壊は絶対にダメだけど)、数百年後に価値のでるようなものにしろ。
でなければ、落書きする資格無し!
と言いたいです。
イタリア・フィレンツェの世界遺産登録地区にある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」や、ドイツ・ベルリンの壁などへの落書きが大きな問題となっている。
ただ、これは氷山の一角にすぎず、日本人による落書きは世界中の文化遺産に残されている。
とはいえ、数としてはそれ以外の文字の方が圧倒的に多い。
そして、日本における落書き発覚者への厳しい処分は、海外では驚きを持って伝えられている。
その背景には、「落書きも年輪を重ねれば文化」だととらえるのか、「落書きは傷つける行為」だととらえるのか、考え方の違いが根底にあるように感じる。
日本では後者がスタンダードなのだが、前者のとらえ方をする国も多いのだろう。
ただ、間違いないのは、歴史的建造物はその維持・修繕に多大な費用がかかっており、落書き行為はその負担をいっそう増加させるということ。
さらには、取り返しのつかない「破壊」という結果にもつながりかねない。
秋芳洞での落書きなどは、まさに破壊行為といえるだろう。
観光地に残されたたくさんの落書きを見て「みながやってるなら自分も…」と思ったなら、それは大きな間違い。
ほとんどの人は落書きなどしていないのだから。
この問題に対するマスコミ報道、ただ「落書きはいかん!」という一方的な論調が、あまりにも多すぎたように感じます。
また、日本人による落書き、今の社会を反映してなのか、「仲良くしようね」とか薄っぺらな内容が多すぎ。
どうしても書きたいのなら(自然破壊は絶対にダメだけど)、数百年後に価値のでるようなものにしろ。
でなければ、落書きする資格無し!
と言いたいです。
今回の訪韓で、初めてソウルの「戦争記念館」へ行きました。
外国からの侵略を繰り返し受けてきた韓国の戦争の歴史を、さまざまな展示を通じて学べる施設。
特に朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」と言います)に関しては、大きなジオラマなども使いつつ、かなりのスペースを割いてます。
ただ、時間があまりなかったので、ごく一部のみ駆け足で見学。
以前釜山にあるUN記念公園を訪れた時もそうでしたが、いまだ戦争状態にある国なんだなと実感、複雑な気持ちになりました。
↑ 文禄慶長の役で大活躍したとされる亀甲船のレプリカ
↑ 板門店の模型
天気が悪かったため、兵器が多数展示してある屋外を歩けなかったのがちょっぴり残念でした。
外国からの侵略を繰り返し受けてきた韓国の戦争の歴史を、さまざまな展示を通じて学べる施設。
特に朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」と言います)に関しては、大きなジオラマなども使いつつ、かなりのスペースを割いてます。
ただ、時間があまりなかったので、ごく一部のみ駆け足で見学。
以前釜山にあるUN記念公園を訪れた時もそうでしたが、いまだ戦争状態にある国なんだなと実感、複雑な気持ちになりました。
↑ 文禄慶長の役で大活躍したとされる亀甲船のレプリカ
↑ 板門店の模型
天気が悪かったため、兵器が多数展示してある屋外を歩けなかったのがちょっぴり残念でした。
ご存じの方も多いのではないでしょうか?
韓流スター行きつけの焼肉店として有名な、ソウルは江南にある「パクデガムネ」です。
2000年の4月および7月に行って以来、7月5日(土)の夜は実に8年ぶり、3度目の訪問となりました。
冬ソナが初めて日本でオンエアされたのが2003年。
ヨン様ブームが巻き起こりました。
そして、ヨン様行きつけのお店として日本でも有名になったのがこのお店です。
まだ韓流ブームの起きる前だった8年前には、日本人客はほとんどおらず、大勢の韓国人客でにぎわっていました。
しかし、今回はどちらも少なく、店内には空席が目立ちました。
メニューもかなり減り、鮮烈に記憶に残っている骨付きカルビなども消えていました。
日本人の団体が一斉に押しかけると、良くない結果が待ってますね
とはいうものの、カルビもかなり美味しかったですよ
期待値が高すぎただけだとお考え下さい。
↑ 店内には、芸能人の写真とサインがズラリ(この構図だと少なく見えますが、こんな数ではありません)
韓流スター行きつけの焼肉店として有名な、ソウルは江南にある「パクデガムネ」です。
2000年の4月および7月に行って以来、7月5日(土)の夜は実に8年ぶり、3度目の訪問となりました。
冬ソナが初めて日本でオンエアされたのが2003年。
ヨン様ブームが巻き起こりました。
そして、ヨン様行きつけのお店として日本でも有名になったのがこのお店です。
まだ韓流ブームの起きる前だった8年前には、日本人客はほとんどおらず、大勢の韓国人客でにぎわっていました。
しかし、今回はどちらも少なく、店内には空席が目立ちました。
メニューもかなり減り、鮮烈に記憶に残っている骨付きカルビなども消えていました。
日本人の団体が一斉に押しかけると、良くない結果が待ってますね
とはいうものの、カルビもかなり美味しかったですよ
期待値が高すぎただけだとお考え下さい。
↑ 店内には、芸能人の写真とサインがズラリ(この構図だと少なく見えますが、こんな数ではありません)
7月5日から7日までのソウル行きは、「経営研究会グループ21」の、年に1度の研修懇親旅行でした。
この会の発足には、わたしの父親が深くかかわっています。
1978(昭和53)年、「雀の学校」という勉強会がスタート。
人前できちんとあいさつができたり、結婚式等いろいろな局面で立場上しっかりとした話ができるよう、有志15人くらいが集まり、彼を校長(=講師)に、話し方の勉強会を毎月1度続けていきました。
それから約5年が経過し、みな話し方も一人前になってきて、今度は21世紀に向け経済学や経営学、文化等を勉強していこうと「雀の学校」を発展させる形で立ち上げられたのが、この「経営研究会グループ21」。
最初は21人でスタートし、多彩な講師を月替わりで招くスタイルをとりました。
わたしの父はこの時点で毎月のメンバーからは外れ、講師として不定期に参加するように。
それからもう25年になりますが、1983(昭和58)年の発足当時とすでに21世紀を迎えてしまった今とでは、メンバーも活動内容も様変わりしています。
なにしろ、1993(平成5)年11月20日の10周年記念事業は、「サビエル記念聖堂再建基金チャリティー吉本興業公演」。
山口市民会館で実施し、笑福亭仁鶴や宮川大助・花子などを招いたそうです。
また1998(平成10)年4月19日の15周年では、維新百年記念講演野外音楽堂に地元アマチュアバンドを多数招き「青春デンデケデケデケ やまぐちバンドマン大集合デイ」を開催。
まだまだ地元の景気も良く、当時はこんな活動もできてました。
今のこの景気では、とてもできません
ただ、25年たっても変わらないのは毎月21日(休日にかかれば変更しますが)に勉強会を開催していること。
わたしがこの会に入ったのは、1994(平成6)年8月です。
帰山してまだ数カ月。
山口のことが右も左もわからなかったのを、会のメンバーにはいろいろと助けていただきました。
ということで、今年の研修懇親旅行先に選ばれたのが韓国・ソウル。
今回、なぜ渡韓したかの説明でした。
↑ 5日昼に降り立った仁川国際空港。キレイです!
↑ 外に出たら大雨でした
この会の発足には、わたしの父親が深くかかわっています。
1978(昭和53)年、「雀の学校」という勉強会がスタート。
人前できちんとあいさつができたり、結婚式等いろいろな局面で立場上しっかりとした話ができるよう、有志15人くらいが集まり、彼を校長(=講師)に、話し方の勉強会を毎月1度続けていきました。
それから約5年が経過し、みな話し方も一人前になってきて、今度は21世紀に向け経済学や経営学、文化等を勉強していこうと「雀の学校」を発展させる形で立ち上げられたのが、この「経営研究会グループ21」。
最初は21人でスタートし、多彩な講師を月替わりで招くスタイルをとりました。
わたしの父はこの時点で毎月のメンバーからは外れ、講師として不定期に参加するように。
それからもう25年になりますが、1983(昭和58)年の発足当時とすでに21世紀を迎えてしまった今とでは、メンバーも活動内容も様変わりしています。
なにしろ、1993(平成5)年11月20日の10周年記念事業は、「サビエル記念聖堂再建基金チャリティー吉本興業公演」。
山口市民会館で実施し、笑福亭仁鶴や宮川大助・花子などを招いたそうです。
また1998(平成10)年4月19日の15周年では、維新百年記念講演野外音楽堂に地元アマチュアバンドを多数招き「青春デンデケデケデケ やまぐちバンドマン大集合デイ」を開催。
まだまだ地元の景気も良く、当時はこんな活動もできてました。
今のこの景気では、とてもできません
ただ、25年たっても変わらないのは毎月21日(休日にかかれば変更しますが)に勉強会を開催していること。
わたしがこの会に入ったのは、1994(平成6)年8月です。
帰山してまだ数カ月。
山口のことが右も左もわからなかったのを、会のメンバーにはいろいろと助けていただきました。
ということで、今年の研修懇親旅行先に選ばれたのが韓国・ソウル。
今回、なぜ渡韓したかの説明でした。
↑ 5日昼に降り立った仁川国際空港。キレイです!
↑ 外に出たら大雨でした
昨夜の415kai、わたしが幹事でした。
(前回の415kai記事はこちら)
チョイスした会場は、HABAHABA7月号にもご掲載いただいた、「ズカズカ(ZUKAZUKA)」。
クーポンの利用で、1人1杯ドリンクサービスです。
8人の参加だったので、計8杯がサービスされました。
安くて、美味くて、活気があって。
大満足のお店でした
地図はこちら
(前回の415kai記事はこちら)
チョイスした会場は、HABAHABA7月号にもご掲載いただいた、「ズカズカ(ZUKAZUKA)」。
クーポンの利用で、1人1杯ドリンクサービスです。
8人の参加だったので、計8杯がサービスされました。
安くて、美味くて、活気があって。
大満足のお店でした
地図はこちら
昨夜は、「山口ナバラの会」の総会に出席しました。
山口市の友好姉妹都市であるスペイン・パンプローナ市のある、ナバラ地方の人たちとの交流を目的とした会です。
1997年、同市に日本庭園をイメージした「山口公園」が完成。
この開園式に参加した市民らが発足させました。
この活動が年々広がり、2003年には県とナバラ州とが姉妹提携するまでに。
総会では、08年度の事業として、7月から9月にかけての「山口国際交流芸術祭」や10月の「第13回アートふる山口」への参加などが決まりました。
続いて、泉類治神父によるスペイン国旗の紋章に関する卓話。
スペイン生まれの泉神父のスペイン名は、ルイス・フォンテスS・マギーネス。
彼はなんと、フランシスコ・サビエル直系の子孫なんだそうです
あとは懇親会。
会場の「ラ フランチェスカ」ご自慢のビールやワインに美味しい料理をたらふく!
そして終了後。
ともに会に出席していた「末廣」の川口雄一郎君と連れだって「やご家」で開催中の「しあわせなおさけ。展」へ。
クラケンも呼び出し、あとは「kuraken.com」や「ハナキンですよ」に書かれてある通りです。
ここでもワイン三昧。
「和らぎ水」も摂取せずに…。
案の定、帰る時にカバン、忘れちゃいました
山口市の友好姉妹都市であるスペイン・パンプローナ市のある、ナバラ地方の人たちとの交流を目的とした会です。
1997年、同市に日本庭園をイメージした「山口公園」が完成。
この開園式に参加した市民らが発足させました。
この活動が年々広がり、2003年には県とナバラ州とが姉妹提携するまでに。
総会では、08年度の事業として、7月から9月にかけての「山口国際交流芸術祭」や10月の「第13回アートふる山口」への参加などが決まりました。
続いて、泉類治神父によるスペイン国旗の紋章に関する卓話。
スペイン生まれの泉神父のスペイン名は、ルイス・フォンテスS・マギーネス。
彼はなんと、フランシスコ・サビエル直系の子孫なんだそうです
あとは懇親会。
会場の「ラ フランチェスカ」ご自慢のビールやワインに美味しい料理をたらふく!
そして終了後。
ともに会に出席していた「末廣」の川口雄一郎君と連れだって「やご家」で開催中の「しあわせなおさけ。展」へ。
クラケンも呼び出し、あとは「kuraken.com」や「ハナキンですよ」に書かれてある通りです。
ここでもワイン三昧。
「和らぎ水」も摂取せずに…。
案の定、帰る時にカバン、忘れちゃいました
「おいでませ山口デスティネーションキャンペーン」がスタートしました。
JRグループと県および県内観光関係団体などの主催で、県外からの観光客増が目的。
期間は7月1日から9月30日までの3カ月間です。
昨日は、JR新山口駅の新幹線口前大型バスロータリーにて、午前9時から午後6時までオープニングイベントが開催されました。
わたしもお招きいただいてたので、時間のできた午後2時過ぎに顔をのぞかせてみました。
すると…、
セレモニーのあった朝方は関係者であふれていたそうですが、この時間はかなり寂しい雰囲気。
↑ 「べすぱ」コンサート
↑ 周防大島町によるフラダンス披露
この1日、ステージ上では「べすぱ」と「ちひろ」によるコンサートが2回ずつ、さらに山口市(和太鼓)、下関市(平家踊り)、周防大島町(フラダンス)、柳井市(イメージソング「遠い日の忘れもの」披露等)、岩国市(ミス岩国による観光PR)、宇部市(カッタ君着ぐるみによるクイズ)、津和野町(石見神楽等)、山陽小野田市(和太鼓)といった、各市町による観光PRや郷土芸能披露が行われました。
また、山口市(昭ちゃんコロッケ、鮎塩焼き)、宇部市(月待ちがにせんべい)、防府市(岡虎の魚コロッケ&焼ちくわ)、下松市(朝日屋の食肉加工品)、光市(ブルーベリー商品)、長門市(長州鶏焼き鳥)、柳井市(甘露醤油等)、山陽小野田市(海鮮とうふ等)、周防大島町(コーヒー豆等)、田布施町(いちじくジャム等)、阿東町(りんごジュース等)、津和野町(焼アイス等)の各市町による特産品販売ブースも丸1日設けられました。
みなさん、このイベント、事前に知ってましたか?
デスティネーションキャンペーンの趣旨は他県からの観光客呼び込み。
だからといって、夏休みでもない平日の昼間、他県から新幹線で山口を訪れる観光客がどれほどいるのでしょうか? 京都や東京、札幌ならいざ知らず。
この日にこのような催しを行うのならば、県民、さらに開催場所を考えれば特に山口市民へのきちんとした参加呼びかけは必須でしょうに…。
それがなされていないがために、このような結果を招いてしまったのでしょう。
現地では、遠方から手弁当で手伝いに来られた経営者の方と言葉を交わしました。
山口県を盛り上げたいという思いで、仕事を放り出して参加されたとのこと。
だからこそ、多くの人の犠牲に成り立つこのような催しは、主催者側のマスターベーションにならぬよう、しっかりとした取り組みが求められるのだと思います。
幸い「おいでませ山口デスティネーションキャンペーン」はまだスタートしたばかり。
今後は県民にもしっかりとPRして参加を仰ぎながら、たくさんの県外観光客を呼び込み、山口県に満足して帰っていただきたいものですね。
JRグループと県および県内観光関係団体などの主催で、県外からの観光客増が目的。
期間は7月1日から9月30日までの3カ月間です。
昨日は、JR新山口駅の新幹線口前大型バスロータリーにて、午前9時から午後6時までオープニングイベントが開催されました。
わたしもお招きいただいてたので、時間のできた午後2時過ぎに顔をのぞかせてみました。
すると…、
セレモニーのあった朝方は関係者であふれていたそうですが、この時間はかなり寂しい雰囲気。
↑ 「べすぱ」コンサート
↑ 周防大島町によるフラダンス披露
この1日、ステージ上では「べすぱ」と「ちひろ」によるコンサートが2回ずつ、さらに山口市(和太鼓)、下関市(平家踊り)、周防大島町(フラダンス)、柳井市(イメージソング「遠い日の忘れもの」披露等)、岩国市(ミス岩国による観光PR)、宇部市(カッタ君着ぐるみによるクイズ)、津和野町(石見神楽等)、山陽小野田市(和太鼓)といった、各市町による観光PRや郷土芸能披露が行われました。
また、山口市(昭ちゃんコロッケ、鮎塩焼き)、宇部市(月待ちがにせんべい)、防府市(岡虎の魚コロッケ&焼ちくわ)、下松市(朝日屋の食肉加工品)、光市(ブルーベリー商品)、長門市(長州鶏焼き鳥)、柳井市(甘露醤油等)、山陽小野田市(海鮮とうふ等)、周防大島町(コーヒー豆等)、田布施町(いちじくジャム等)、阿東町(りんごジュース等)、津和野町(焼アイス等)の各市町による特産品販売ブースも丸1日設けられました。
みなさん、このイベント、事前に知ってましたか?
デスティネーションキャンペーンの趣旨は他県からの観光客呼び込み。
だからといって、夏休みでもない平日の昼間、他県から新幹線で山口を訪れる観光客がどれほどいるのでしょうか? 京都や東京、札幌ならいざ知らず。
この日にこのような催しを行うのならば、県民、さらに開催場所を考えれば特に山口市民へのきちんとした参加呼びかけは必須でしょうに…。
それがなされていないがために、このような結果を招いてしまったのでしょう。
現地では、遠方から手弁当で手伝いに来られた経営者の方と言葉を交わしました。
山口県を盛り上げたいという思いで、仕事を放り出して参加されたとのこと。
だからこそ、多くの人の犠牲に成り立つこのような催しは、主催者側のマスターベーションにならぬよう、しっかりとした取り組みが求められるのだと思います。
幸い「おいでませ山口デスティネーションキャンペーン」はまだスタートしたばかり。
今後は県民にもしっかりとPRして参加を仰ぎながら、たくさんの県外観光客を呼び込み、山口県に満足して帰っていただきたいものですね。