先日、愛用している時計、オメガ・コンステレーションのベルトのパーツが壊れてしまいました。
↑ 赤丸で囲った部分
そこで山口市内の時計販売店に持っていき修理を依頼したところ、「ウチではムリです。メーカーに送らないと」と断られてしまいました。
もしそうすれば、ベルト交換で数万円はかかるだろうとのこと。
全体が壊れたわけでもなく、それはたまりません。
そこで駄目元と思い、山口市小郡にある「大村時計めがね店」へ。
ここは、公認高級時計師(CMW)のいる時計店として、知る人ぞ知る存在なのです。
公認高級時計師(Certified Master Watchmaker)とは、1954(昭和29)年から実施された最難関の時計技術試験。
これまでの合格者は日本で約800人でした。
なぜ過去形かというと、1981(昭和56)年以降はクオーツ時計の普及もあって1人の合格者も出ず、現在では試験制度そのものが中止されているから。
つまり、今後増えることは考えられないし、これまでに亡くなられた方々の人数も考えると、非常に貴重な存在なのです。
この試験の発祥の地はアメリカ。
米国時計学会日本支部を設立、CMW試験を開催することによって、時計職人全体の技術底上げや時計産業の復興を目的としたようです。
試験は、1次、2次にわたり延べ5日間。
難関かつ多岐にわたる課題をクリアした人だけが、その名誉ある称号を名乗ることができます。
言葉がしゃべれなくとも「亡命した国で、次の日から仕事ができる唯一の資格」とも呼ばれているそうです。
大村益穗さん(76歳:08年12月時点)は第2次大戦中、学徒動員で人間魚雷「回天」の部品製造を担当。
戦後、そこで覚えた旋盤技術を生かして時計技師になられました。
CMWマイスターとなったのは1960(昭和35)年で、登録番号は8155です。
彼の元には、全国各地から故障した機械式時計が送られてきます。
わたしが訪ねたときには、ちょうど横浜から送られてきたロンジンを修理中。
遠くは盛岡からの時計も預かり中で、特に多いのは九州、四国からだとのこと。
また、これは県内ですが、萩からは明治時代の掛け時計の修理依頼もありました。
さて、オメガのベルト修理に話を戻します。
大村さんは状態を見られて「ほかに小さなパーツはなかった?」と聞かれました。
そんなものは見ていないので、どうやら壊れたときに紛失してしまったようです。
というか、内部にそんなパーツが入っていたこともこっちは知らないのですが(^_^;
どこにいた時壊れたのかも把握しておらず、もう見つけることはできません…。
「パーツがないならあきらめようか」と思いはじめた時、大村さんから返ってきた言葉。
「パーツをつくってみよう。交換すると高くつくからね」。
さすが、CMW!
感涙モノです。
ありがたくも、ホントに直るのかどうか半信半疑のまま、時計を預けて帰りました。
そして待つこと1週間。
大村さんから電話が。
「直りましたよ」と。
受け取りに行くと、見事に修理されていました。
まさか、まさかの喜びです。
感謝、感謝です。
費用もわずか数千円ですみました。
そのうえ機械部分も点検していただき、「問題ないから」と。
遠方の都会から、郵送で修理を依頼される方も多いのに、すぐ近くで大村さんのサービスを受けられるなんて幸せだと、しみじみ感じました。
近いうちに、最近動かなくなってしまった祖父の形見の時計を修理に持っていこうと思った次第です。
この内容、きょう付けのサンデー山口コラム・稜線では以下のように紹介しています。
先日、愛用している腕時計のベルトパーツが壊れた。
そこで市内の時計販売店に修理依頼したところ「ウチではムリです。メーカーに送らないと」と断られてしまった。
ただし修理ではなく交換となり、数万円はかかるだろうとのこと。
そこで、最難関の資格「公認高級時計師(CMW)」を持つ大村益穗さんに駄目元で頼もうと、新山口駅在来線口近くの「大村時計めがね店」を訪ねた。
彼の下には、全国各地から故障した機械式時計が送られてくる。
わたしが訪ねたときにも、盛岡や横浜から送られてきた腕時計や、萩からの明治時代の掛け時計を修理中だった。
大村さんはベルトの状態を見て「ほかに小さなパーツは?」と質問。
どうやら壊れたときに、数ミリの部品を紛失してしまったようだ。
「あきらめようか」と思った時、大村さんから返ってきた言葉は、まさかまさか「パーツをつくってみよう」だった。
そして1週間後、「直りました」との連絡が。
それだけでなく、本体の機械部分まで点検していただいた。
さまざまな機械が「使い捨て」されるようになって久しいが、「修理して使う」方が尊いに決まっている。
大村さんのような存在は、もっともっと評価されるべきだと思う。
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