きょう、サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム。



「山口市」が誕生したのは、きょうからちょうど80年前、1929(昭和4)年4月10日だ。

山口町と吉敷村との合併で市制が施行された当時の総人口は3万3522人で、世帯数は6704世帯。

面積は48.52平方キロだった。

1982(昭和57)年発行の山口市史には「この朝、中市の旧山口町役場の玄関前には木の香も新しい『山口市役所』の大表札が掛けられ、夜来の雨も晴れて、ひときわ人目をひいた」とある。

5日間にわたり開かれた「祝賀山口デー」はたいそう華やかで、5月に公会堂で開かれた市制祝賀会には県内から1400人余が参列。

「市中に繰り広げられた市制祝賀の余興は、この日から3日間にわたり底抜けの騒ぎが演じられた」そうだ。


その後、幾多の合併・分離を経て、2005(平成17)年10月1日に山口市、小郡町、秋穂町、阿知須町、徳地町が対等合併し、今の山口市が生まれた。

現在の人口は80年前の5.6倍の18万7420人で、面積は15倍の730.23平方キロになる。


ともあれ「山口市」という名称がこの地に誕生してから、あと20年で100周年を迎える。

日本で最初の市制施行は1889(明治22)年で、すでに記念事業を終えた自治体も多い。

本市でも、いよいよカウントダウンのスタートだ。




当時、全国の県庁所在地で町制を続けていたのは山口と浦和だけで、どちらが先に市になるか、全国に話題を提供していたのだそうです。

別の表現では「特急の止まらない県庁所在地」とも言われていたとのこと。


また、日本初の市制施行は31都市で、その中には赤間関市(現下関市)も含まれてます。

山口市は、県内では下関市に次いで2番目に誕生した市でした。
  


Posted by かいさく at 19:28Comments(0)稜線