しばらく前の話です。


この3月12日から山陽・九州新幹線直通列車「みずほ」「さくら」として運用される「N700系7000番代」新幹線に試乗させてもらいました。





新山口駅の向かいホームには、ちょうど500系が停車中。


 ↑ 世代交代を、強く印象づけられるツーショットです




乗車させてもらったのは、8号車の指定席。






指定席のイメージは「朱桜」
パンフレットの解説を引用すると「シートに濃菜種色の遠山模様を使うことで、日本の山並みを表現した指定席。朱桜調の風合いをベースにした客室は、手すりやテーブルにもおなじ色調の木材を取り入れたことで、優しい雰囲気がかもし出されました。上質と落ち着きを堪能できる空間が、お客様を包み込みます」とのこと。

ちなみに、グリーン席のテーマは「古代桜」で、自由席は「若桜」だそうです。



 ↑ 窓側には全座席コンセントが設置


 ↑ 座席上部のエアコン吹き出し口



途中、グリーン車にもご案内いただきました。


 ↑ グリーン車なんて、普段乗れません。せっかくなので、記念撮影



とても快適な室内でしたよ。

新山口駅から鹿児島中央駅まで、わずか2時間強。
運行開始が、今から楽しみです!







  


Posted by かいさく at 20:06Comments(0)よもやま話

2011年01月25日

廿日会

毎月20日に開催される、官民問わずさまざまな(山口市内に拠点を置く)職場の“長”が集まる勉強会「廿日会」

先週木曜の夜は、年に2度ある懇親会でした。

会場は、湯田温泉の「セントコア山口」







くじ引きで決まった同じテーブルには、某テレビ局社長、某大学学長、某医師会会長らそうそうたる顔ぶれが並び、昔の暮らしやお酒の話題などで、ワイワイ盛り上がりました。



地図はこちら

  


Posted by かいさく at 19:45Comments(0)山口市

2011年01月22日

日本国民も国家観を

1月21日付サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム(の完全版)。



年末年始にかけ、山口宇部空港発着チャーター便を利用した台湾ツアーに参加した。

現地に入り驚いたのが、あちこちに「建国100年」という文字が躍っていたこと。

今年は、1911年の辛亥革命から100年という記念の年なのだ。

年越しのイベントも、例年より盛大に“国”内各都市で開かれていた。


しかしながら、平和な戦後日本で生まれ育った我が身には「建国100年」と言われてもピンと来ない。

台湾の特殊な事情について多少の感覚は持つものの「“二つの中国”になったのは戦後なのに、なぜ100年?」程度だ。


中国大陸において、辛亥革命によって「中華民国」が成立した。

前後の歴史舞台には、孫文、袁世凱、蒋介石、張作霖、毛沢東などの人物が登場する。

そして、満州事変、日中戦争、日本の敗戦を経て、1946年に中国国民党中国共産党との対立が激化。

敗北した蒋介石国民党は、1949年12月に遷都という形で台湾へと逃亡、今に至る。

今年台湾で祝われているのは、大陸での中華民国誕生からの「建国100年」であり、その前も含む50年間は日本の統治下だった。


いろんな歴史背景もあり、他国の人たちは「国」というものへの意識が非常に高い。

一方、日本国においては「建国記念日」すらない。
※2月11日は「建国記念の日」

尖閣諸島、竹島、北方領土等々領土トラブル時にだけ騒ぐのではなく、常日ごろから国家観というものをしっかり持っておきたいものだ。








年越しは花蓮という都市でした。


 ↑ 盛大なステージイベント


 ↑ カウントダウン終了とともに花火が次々に


 ↑ 花火終了後、地面に散らばっていた紙吹雪



 ↑ 宿泊ホテルでの催し案内。「100年おめでとう!」と(多分)書いてあります


  


Posted by かいさく at 19:11Comments(0)稜線

2011年01月20日

道路工事

わが社に接続する市道「一本松朝倉線」
先日から拡幅工事が始まってます。

工期は3月25日までで、その間通行止め区間が生じてもいます。

ご来社の際はご不便をおかけしますが、よろしくお願いいたしますm(_ _)m



 ↑ 弊社の敷地も掘り返されました



地図はこちら


  


Posted by かいさく at 14:12Comments(0)よもやま話
12日に「ホテルかめ福」で開かれた、2011年度「山口青年会議所新春パーティー」に、OBとして出席。

今年の、第56代理事長には吉村貴三朗くんが就任しました。



スローガンは「襷(たすき)~繋ぐ気持ちと受け止める心」

基本方針として、
・常に感謝の気持ちを持って繋いでいこう!
・仲間と共に汗をかき出会いと感動の素晴らしさを繋いでいこう!
・リーダーシップ(思いやり・優しさ・気配り)を発揮し、後に続いてくる者のために繋いでいこう!
・新たな一歩を踏み出し60周年へ繋いでいこう!
・自らが楽しみ・考え・行動し自分たちの住むまちの未来のために繋いでいこう!
を掲げられました。

この1年間、完全燃焼してくれることと思います。

後輩たち、頑張れ!



地図はこちら


  


Posted by かいさく at 21:23Comments(0)山口市
昨日の記事に関連して…。


1997年7月19日(土)青年会議所(JC)「中国地区フォーラム」という大会が「山陰・夢みなと博覧会」を開催中だった鳥取県境港市であり、参加しました。


その翌日、1993年に整備の始まった「水木しげるロード」を初めて散策。

その道すがら、駄菓子屋を発見したのです。
店内に入ってみると、随所に「お宝グッズ」が並んでました!

その日は公共交通機関を利用しての参加だったので、大きな買い物ができない中…、












タイガーマスクのビニールバッグを、思わず購入してしまいました!
もちろん、実際に使うわけじゃあなく、コレクションとしてですよ(^_^;




著作権者として原作者と作画者の名前が、そして制作年・1969の表記とともに「ぼくら連載」の文字が記載されています。






ちなみに、売価は90円
おそらく、発売当初の値札がそのままついていたのだろうと思います。



  


Posted by かいさく at 19:19Comments(0)お宝(その他)

2011年01月11日

みなし児のバラード

世代的にも、アニメのタイガーマスクは好きです。

時代は、ジャイアント馬場アントニオ猪木「BI砲」が、外国人トップレスラーを“やっつける”「日本プロレス」のころ。
“役者”になるレスラーも、国籍問わずそろってました。

何年か前に、原作マンガの文庫版も全巻そろえました。
また、昨年末にはパチンコ台の新機種PRで、「Gyao」にて数話が公開。
それを全部見ることはかなわなかったのですが、数十年ぶりに何話か視聴することができました。


ここのところ続いている「タイガーマスク運動」
最初にランドセルを贈った「伊達直人」さんは、パチンコ台登場によるTVCMや「Gyao」での公開によって、孤児院(児童養護施設)「ちびっこランド」への援助を続ける伊達直人=タイガーマスクのことを思い出したのでしょうか。
まあ、ここまで全国に広がるとは、予想を良い意味で裏切ってくれましたface01


さて、このアニメ、「虎だ、おまえは虎になるのだ!」で始まるオープニング曲以上に、エンディング「みなし児のバラード」のインパクトが強いです。
歌詞は…


あたたかい人の情けも
胸を打つ 熱い涙も
知らないで そだった僕は
みなしごさ
強ければ それでいいんだ
力さえあればいいんだ
ひねくれて 星をにらんだ
僕なのさ ああ だけど
そんな僕でも あの子らは
慕ってくれる それだから
みんなの幸せ 祈るのさ

吹く風が つめたい時も
降る雨が はげしい時も
目をあげて 明日に希望を
かけたのさ ああ だから
きっと いつかは あの子らも
わかってくれる みなしごの
正しく生きる きびしさを
みなしごの 正しく生きる
きびしさを



このアニメが放映されたのは、1969(昭和44)年から1971(昭和46)年にかけて。
終戦(1945年)からまだ25年です。

子どもだったわたしにはよくわかりませんでしたが、戦争の記憶もまだ生々しく「ちびっこハウス」にいた伊達直人も戦災孤児(多分)でした。

身寄りのない孤独さと、同様の境遇におかれた後輩(子どもたち)たちとの絆。
当時の日本社会が抱える問題を、背景に描きだした作品でもあったんですね。


  


Posted by かいさく at 20:00Comments(0)よもやま話
きょう、サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム。



2011年に入り、1週間。

毎年、年末から新年を迎えるこの時期には、除夜の鐘初詣おせち料理お雑煮など、日本の宗教や伝統文化を感じられる行事などが連なり、自らを日本人だと「再認識する」ことができる。

今朝も、多くの人が七草がゆを食べられたことだろう。


しかしながら、よくよく考えてみると「再認識する」ということ自体、全く間違っている。

海外で生活しているわけではないのだから、毎日毎日を「日本人」として過ごせるはずなのだが、我が身を振り返っても、まるで無国籍人のような生活ぶりだ。

これでは「再認識する」こともやむを得まい。

お盆、年末年始、お宮参り、七五三、結婚式といった節目行事の際だけでなく、日々の暮らしのなかで、もっともっと和文化に接する瞬間があってもいいだろう。


終戦から高度経済成長へと、国が豊かになるのに合わせて、ライフスタイルの欧米化も進んでいった。

しかしながら、そうなればなるほど日本人としてのアイデンティティーが逆に失われ、心はどんどん貧しくなっていったようにも感じる。


40~50年前の和洋バランスが、最も幸せな日本社会を形作るのではないか。

一年間の無病息災を願って神社に参拝しながら、ふとそんなことを考えた。








40~50年前というのは、ちょうどわたしが生まれたころ。
(1966年=昭和41年生まれです)

当時は高度経済成長のまっただ中で、急速に欧米化が進行。
屋外では和服の人と洋服の人とが交じり合い、家に帰れば畳での生活をしつつも三種の神器(家電)の恩恵を受ける。
「和」の伝統を重んじつつ、「洋」の快適さを享受できるように…。
そんな日本社会は、とても幸せだったように感じます。


その後、日本社会が豊かになっていくほどに「洋」が「和」を駆逐。
両者のバランスはどんどん崩れていきました。
わたしが物心付いてからは、日常風景の中で和装を見かけた記憶はほぼありません。
そして、ライフスタイルの欧米化とともに、日本人の守るべき伝統が、次から次へと失われていきました。


今一度、わが国の伝統文化を再認識し、40~50年前の「和洋バランス」に戻すことができれば“幸せな日本”の復活につながるのではないでしょうか。


  


Posted by かいさく at 23:31Comments(0)稜線
昨夜は、「山口商工会議所新春互礼会」に参加。

会場は湯田温泉の「ホテルかめ福」で、約300人の参加でした。

会場に着いて驚いたのが、着席形式だったこと。
毎年、乾杯までに30分以上かかるので、改善されたのでしょうか?





約1時間半の間、いろんな人と新年のごあいさつを交わすことができました。



終了後は、湯田温泉街を3次会まで流れて『活性化』

シメにはラーメンでしたface03


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Posted by かいさく at 20:55Comments(0)山口市
昨夜、二井関成県知事が発起人の新春恒例「官公庁・報道関係新年互礼会」が湯田温泉の「翠山荘」であり、出席しました。

参加したのは、県庁幹部ら行政、各種公共団体、報道関係からの約110人。


二井知事は冒頭「今年は災害のない年にしたい」とあいさつ。
また、今年の書き初めでは「真」という言葉を書かれたそうで、これは「真剣勝負」「真心」を持って諸事に取り組む決意だそうです。

この漢字、わたしの名前「真人」の1字でも使われており、なんかこそばゆかったですね(^_^;



 ↑ 二井知事の冒頭あいさつ



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Posted by かいさく at 19:11Comments(0)山口県