きょう、サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム(の完全版)。



未曾有の被害をもたらした東日本大震災

「自然の脅威」という簡単な言葉では片付けられない事象が、いまだに数十万人もの人々を苦しめ続けている。

それも、この国における“豊か”な人たちが陥りがちな「なれ合い」「無責任」「先送り」等々の“体質”が、さらに被害を拡大させてしまったことが悔しくてならない。


わたしの手元に、昨年7月1日に発行された「学士会会報」883号がある。

特集は「地震防災」で、専門家ら5人が寄稿。





その中でも、源栄正人東北大大学院教授の文章が目を引いた。

「政府の地震調査研究推進本部・地震調査委員会は宮城県沖地震の発生間隔は37.1年と長期評価しており、前回(1978年6月12日)から31年が経過している状況から、今後10年以内の発生確率は70%超、30年以内の発生は99%超」
との記述がある。

今回の地震とは「別物」とのとらえ方もあるようだが、大地震への警鐘は鳴らされていたのだ。

一方、地震予知連絡会の5代会長・島崎邦彦さんの題は「東海地震待ったなし」

これも緊急の備えが必要だ。


反省し、悔い改めるべきことが山のようにあるはずなのに、いまだに“豊か”な人たちからは、そのような気持ち・姿勢が伝わってこない。

「人災」は、もう勘弁して欲しい。









わたしの手元にはもう1冊、朝日新聞山口支局編著「国策の行方 上関原発計画の20年」という本があります。





2001年8月に、鹿児島市の「南方新社」から発刊されたものです。

第1部では、1981年から20年間、朝日新聞に掲載された上関原発計画に関する記事を再構成。
第2部では、中電幹部、国の担当者、学者、推進派住民、反対派住民ら24人への、2000年10月から2001年3月にかけてのインタビュー記事が収録してあります。


担当者の当時のコメントとして、
「現場に接する記者も述べるように、この20年間の一連の動向からうかがえることは、『責任所在のあいまいさ』ということです。
チェルノブイリ、東海村は、原発に対する人々の不信感を決定的なものにしましたが、原発の安全性は、誰一人として断言できないのです。
それでも原発に固執しようとする電力会社は、その責任を『国の政策だから』と国になすりつけ、国は国で『地元意見を代表する知事から同意をもらった』と地元の長になすりつけ、知事はまた『国策だから協力する。責任は国にある』と責任を逃れようとします。
責任のたらい回しのようなかたちで進む原発建設。
その不調和な構造が、新聞記事という客観的な目を通して、より一層、克明に浮き彫りにされてきます。」

とありました。


福島第一原発事故という経験をしたわれわれ日本人。
もう「責任所在のあいまいさ」は、なしにしましょう。


  


Posted by かいさく at 15:27Comments(0)稜線