2011年06月28日

GALAXY SⅡ

この週末、手に入れました!

「GALAXY SⅡ」








週末+昨日は、「OUTLOOK」にて管理しているスケジュールと同期を取るのに、ぶち時間とられました。

使用感などは、また後日icon23



  


Posted by かいさく at 12:11Comments(0)GALAXY SⅡ
「前史1」から続く。


しかしながら水産業にもかげりが見え始めます。

また「ジャーナリストとして世界を広げたい」との思いもあり、開作惇は請われるまま、防長新聞社へと転職します。


河村三郎同社社長が、編集局長を担える人材を捜していたところに「適任だ」と相成りました。


1880(明治13)年創刊の、歴史ある山口県の「県紙」防長新聞

最近では、中原中也が熱心に短歌の投稿を続けていたことなどでも知られています。


同社へは、1972(昭和47)年5月に入社。

同年の10月には取締役に、1974(昭和49)年には専務に昇格しました。

河村社長は東京住まいだったため、実質的な経営はすべて任された格好でした。


しかしながら、防長新聞の実態は「火の車」。


日経新聞の人気コーナー「私の履歴書」で、、女優・有馬稲子さんが河村社長との結婚生活(1969年~1983年)を、以下のように振り返っていらっしゃいます。

「夫の会社が倒産したのは、『おりん』の稽古が始まったころだった。

人を100%信じてはいけないという経営者に必須の条件が、彼には欠けていたように思う。

山口県の出身で県の伝統ある有名な地方紙が経営不振に陥ったとき、地元の大政治家に『ふるさとの言論を絶やすな』とおだてられ、支援に巨額の資金をつぎこみ、それが会社の経営破綻のひとつの理由になった。

友情で結ばれていると思っていたその政治家に門前払いを喰わされたと男泣きに泣いていたことを覚えている。

社員の給料が払えなくなり、田園調布の私の家を抵当にお金を借りたが、その直後に会社は倒産した」
(2010年4月22日)

ここでの「夫の会社」というのは「三共開発」です。


1978(昭和53)年4月25日をもって、98年の歴史を持つ防長新聞は、その幕を下ろしました。


開作惇が関係者に向けて送ったあいさつ文を転載し、この「前史」はとじさせていただきます。


「ごあいさつ

風薫る五月も早や下旬、季節はすでに初夏を迎えようとしていますが、貴台にはお変りもなくご健勝のことと拝察しております。

さて、今回の防長新聞社の経営破綻につきましては、多くの方にご心配をかけ、また多大のご迷惑をおかけ致しましたことを心から深くお詫び申し上げます。

時間の経つのは実に早いもので、昭和49年10月、私が防長新聞社専務取締役に選任されてからすでに3年半の歳月を数えることになります。

思えば長かったようでもあり、瞬時に過ぎた一瞬の歳月だったような気も致します。

就任時、すでに4億4千万円の累積欠損金を抱えていた防長新聞社だけに、過去3年有余の経営は、文字通り“悪戦苦闘”の連続でした。

何しろ年間の総売上げが3億円前後の企業にとって、年間売上げの1・5倍近い累積赤字を抱え、そのうえなお毎月の収支で300万円から500万円近い資金が不足するという経営の現状では借入金の返済どころではなく、正常な金融措置すらとれず、経営を維持するための資金作りに追われ放し、という毎日の連続です。

この間、防長新聞の窮状を見かねた県内有力企業のご配慮で、3年間にわたり資金援助措置も講じていただきましたが、それも“焼け石に水”といった状態で、なお必要資金の絶対額が不足します。

ところが、不足する資金の手当を金融機関に求めても、社のバランスシートから全然相手にされず、止むなく毎月不足する資金は役員の一部が友人、知人の間をかけずり回って借金を重ね、それを会社の運転資金につぎ込み、何とかその月の収支のやりくりをするという危い“綱渡り経営”の連続でした。

もちろん、こうした社の現状に対し、いたずらに手をこまねいていただけではありません。

可能な限り社内合理化を進め、支出経費の節約も図って参りました。

私の専務就任当時180人を超えていた従業員を1年間で120人まで削減し人件費支出を抑える一方、本支社局経費も大幅にカット、同時に新聞社にとって基本的な収入源である広告、販売の増収を図り、さらには社外からの印刷物の受注をはじめ、事業活動の強化などによる収入増にも鋭意努力して参りました。

その結果、毎年着実に売上げは伸びてきましたが、石油ショック後の物価騰貴や人件費の大幅上昇は、売上げの伸びをさらに上回り、経営内容はいささかも好転せず、むしろ悪化の一途を辿るばかりです。

そしてこのままでは自滅しかないという状態にまで追い込まれてきました。

そこで昨年末から企業再建の青写真を画き、その実現に専念し経営の根本的改革と取り組むことにしました。

その骨子は、下関にある印刷工場を山口地区に移転、印刷方式の改革によって大幅に人員を削減、収支のバランスをとるというものです。

この計画に基づいて新工場の立地も決め、輪転機など一部の機械もすでに確保、4、5月中に合理化を終え遅くても6月以降は新工場で印刷を開始するというスケジュールで着々準備を進めてきました。

ところが“好事魔多し”というか、全く予期していなかった事態が発生しました。

それは三共開発(株)の突然の破産です。

三共開発は防長新聞のオーナー社長でもある河村三郎氏の経営する会社で、防長新聞はその三共開発からの借入残高を4億2千万円も抱えています。

この借入金は河村氏が社長であり三共開発の経営者であることにより、これまで事実上凍結同様にタナ上げされていたものです。

しかし三共開発が破産したとなると、その債務は当然表面化し、新しく借入金の返済義務が防長新聞には生じてきます。

通常の収支でさえ毎月多額の赤字が発生している防長新聞にとって、新しく動き始めた三共開発からの借入金の返済は全く不可能です。

それどころではなく三共開発の倒産はストレートに防長新聞の信用不安となってはね返り、それでなくても苦しかった資金ぐりを一層悪化させ、現状のままでは4月以降、資金不足により経営続行は不可能という状態に立ち至りました。

このため三共開発の破産後、直ちにこうした社の現状を訴え、新しく県の政財界へ経営基盤を移譲することにより経営の継続はできないものかと極力努力しましたが、何しろ長期にわたる日本経済の不況から、県内有力企業にも経営危機に直面した防長新聞を丸抱えして経営を続行するだけの余裕はなく、ついに4月25日、破産申請の手続きをとらざるを得なくなった次第です。

以上が、今回の防長新聞の経営破綻に至るまでのごく大まかな経過ですが、いずれにしましても明治13年に創刊されてから今年で98年という、長い歴史と伝統を持つ県内唯一の県民紙防長新聞がついに廃刊せざるを得なくなったことは、何としても残念でなりません。

そして非力な経営によって最後の幕を引かざるを得なくなった責任をいま一人になってしみじみと痛感しております。

約1世紀近くにわたってご支援をたまわった多くの県民読者のみなさんや、これまで公私にわたり陰に陽に直接ご協力、ご鞭撻して頂いた数多くの関係者の方々の温かいご好意に応えることができないまま廃刊してしまった私自身の非力を心からお詫び申し上げます。

直接ご拝眉のうえ、お詫びなりお礼を申し上げるべきですが、取りあえず書面にてご挨拶に代えさせて頂く次第でございます。

長い間、本当に有り難うございました。

昭和53年5月




 ↑ 1978(昭和53)年4月25日付防長新聞最終号。メーン記事は先帝祭でした



  


Posted by かいさく at 17:36Comments(0)サンデー山口物語

2011年06月20日

ガレキ片付け

本年4月のプラスデザイン社との合併時(この記事参照)に、(わが社にとっては)大量のガレキが発生。

恥ずかしながら、しばらく屋根付きの屋外に、ビニールシートを掛けて放置しておりました。





本日、お取引業者さんに引き取りにきていただき、数カ月ぶりにキレイに。




気持ちの中のモヤモヤが、吹っ飛んだような感じです(^^)



地図はこちら


  


Posted by かいさく at 17:50Comments(0)仕事

2011年06月17日

生活の満足度

きょう、サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム。



OECDが先日公表した「より良い暮らし指標」は、加盟34カ国の幸福度を「住宅」「収入」「雇用」「共同体」「教育」「環境」「ガバナンス」「医療」「生活の満足度」「安全」「ワークライフバランス」の11指標で評価し、国際比較したものだ。


このうち「生活の満足度」を見ると、平均は59%。

高い順に、
オランダ(91%)、
デンマーク(90%)、
フィンランド(86%)、
ノルウェー(84%)、
スウェーデン(83%)、
カナダ(78%)、
スイス・ニュージーランド(77%)、
ベルギー(76%)、
オーストラリア(75%)、
オーストリア(73%)、
イスラエル(72%)、
米国(70%)、
アイルランド・英国(68%)、
アイスランド・チリ・メキシコ・ルクセンブルク(66%)、
チェコ・ドイツ(56%)、
イタリア(54%)、
フランス(51%)、
スペイン(49%)、
ギリシャ(43%)、
日本(40%)
スロベニア(39%)、
韓国(36%)、
ポルトガル(36%)、
ポーランド(35%)、
トルコ(28%)、
スロバキア(27%)、
エストニア(24%)、
ハンガリー(23%)
と並ぶ。


上位は「高福祉・高負担」の国々ばかり。

わが国の低い満足度は、世界一の高齢化国なのに、福祉制度に大きな不安・不満を抱いていることの表れなのだろう。


  


Posted by かいさく at 20:11Comments(0)仕事

2011年06月16日

社長という名の…

社長という名の「なんでも屋」





PCキーボードの分解、修理だってやっちゃいます!


  


Posted by かいさく at 21:55Comments(0)仕事
昨夜は、2カ月に1度の「山口青年会議所OB例会」に出席。

今回は、現役メンバーも交えた総勢約60人でのボウリング大会でした。

会場は「ボウリングの森」





ボウリングをするのはこの記事以来、2年半ぶり。

スコアは…、1ゲーム目が102、2ゲーム目が160という、アップダウンの激しいものでした。



地図はこちら


  


Posted by かいさく at 18:00Comments(0)山口市

2011年06月13日

なにわ寿司割ぽう

昨年から八坂神社の総代を拝命しておりますが、その総代会が一の坂川沿いの「なにわ寿司割ぽう」(tel:083-922-7288)で先日開催され、参加しました。

1年間の事業・会計報告とともに、今後の山口祗園祭のあり方についても、お酒を交えて意見交換。







会の終了後、店外に出たらたくさんのゲンジボタルが飛び交っていましたよface01



地図はこちら


  


2011年06月10日

目まぐるしい…

目まぐるしい日々が続いております。


今週も、懇親会、葬儀、総会、社内の各種会議、商工会議所等社外の会議などへの出席、来客応対、記事制作、各方面への社内指示…。

金曜のこの時間になり、ようやく一息つけそうですface01


  


Posted by かいさく at 22:53Comments(0)よもやま話
6月3日付サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム(の改訂版)。


5月26、27日と、フランスでG8サミットが開催された。

世界で「主要」とされる日、米、英、仏、独、伊、加、露の8カ国首脳が地球規模の課題について意見交換し、コンセンサスを形成する場だが、首相がコロコロ変わるわが国は、その地位低下が懸念されている。

報道によると、今回も存在感は薄かったようだ。


さて、ジャーナリストの田原総一郎氏が約25年前に書いた文章を先日読み、共感を覚えた。

次のような内容だ。

「日本人は、どこに自分が立っているかの視点があいまいである。

いい例が円高の現象。

日本で『今日のレートはいくらですか』と質問すると『145円です』との答えが返ってくる。

しかし、たとえばイギリスなら必ず1ポンドが何ドルと答える。

どこの国にしても、少なくともサミットに参加する先進国の場合、通貨がいくらというときには自国の通貨を基準に考える。

ところが日本人だけは『1ドル何円』

つまり、自国の経済を見るのに、日本人としての視点を持っていないことになる」。


これはバブル崩壊前、中曽根首相や竹下首相のころの文章。

「経済大国」だった当時と今とでは、置かれた状況は大きく異なるが、視点のあいまいさだけは変わらない。

「日本人」「山口県人」「山口市民」との立ち位置、常に確認するようにしたい。


  


Posted by かいさく at 19:19Comments(2)稜線

2011年06月06日

国体新施設見学

山口国体・山口大会で全国から訪れる人たちをきちんとおもてなしするため、それに向けて整備された新施設のことを少しでも知っておこうと5日(日)、湯田地区商工振興会の有志で2施設の見学に行きました。


まずは、メーン会場にもなる「維新百年記念公園」の新・陸上競技場




ここでは「山口市陸上大会」が開かれていました。










 ↑ かなり急勾配の観客席



続いて、「きらら博記念公園水泳プール」へ。




こちらでは、「県高校総体」が開催中。




 ↑ 観客席が、ちょっと少ないような…。




 ↑ 50メートルプールの一般利用料金。大人は800円(夏季は700円)です




どちらも「今時」の施設で、県内選手にとっても「やりがい」につながりそうですねface02



見学終了後には、旭建設工業の倉庫をお借りしてバーベキュー。






家族で参加しましたが、アユのつかみ取りやビンゴゲーム等もあり、とても楽しいひとときを過ごさせていただきました。






  


Posted by かいさく at 22:46Comments(0)山口県