きょう、サンデー山口山口版「稜線」に掲載したコラム(の完全版)。



山口の司祭館で日本初のクリスマス

1552(天文21)年旧暦12月9日、西暦では12月24日のこの日、山口の宣教師コスメ・デ・トルレスらが、司祭館に日本人信徒を招いてクリスマスの祝いを催した。

修道士のジョアン・フェルナンデスデウス(神)の話を人々に聞かせ、疲れてくるとローマ字のわかる日本人信徒の少年が、かわりに朗読した。

2人が話をやめると、日本人信徒たちはもっと創造主の話をしてほしいと催促した。

一同は夜を徹してデウスを賛美し、翌朝、ふたたびミサと説教を聞いたのち、全員に食事がふるまわれた。

トルレスらにとっては来日して以来4回目のクリスマスだったが、この日はじめて日本人信徒とともに祝うことができた

これには、先にインドに戻ったフランシスコ・ザビエルが派遣し8月にインドから豊後の大友宗麟(良鎮、23)のもとに到着していた宣教師パルタザール・カーゴも列席した。

トルレスは、最初の教会堂となる大道寺創建の許可を8月28日に大内義長から得ていたが、落成は3年後のことで、この日のクリスマスは仮住まいの司祭館で行われた。

こののち、カーゴらは京都に向かうが、山口は1556年毛利元就によって兵火にかかるまでの5年間、キリスト教布教の本拠となる



これは、1995(平7)年出版の「クロニック戦国全史」(講談社)に登場する一節。

ルイス・フロイス著「日本史」「イエズス会士 日本通信」に登場する日本初のクリスマスミサ開催を、史実としてあらためて世に出してくれたものだ。


これがきっかけとなり、1997(平9)年「日本のクリスマスは山口から」事業が誕生。

今年も、渡辺純忠市長が「12月、山口市はクリスマス市になる。」と宣言し、1カ月間にわたる催しが、昨日スタートした。


東日本大震災のあった特別な年の瀬だ。

日本初の降誕祭に思いをはせつつ、それぞれの「きずな」を再確認する機会にもしたい




以下は昨日、12月1日午後6時からあった点灯式の様子です。



 ↑ 多々良健司実行委員長あいさつ


 ↑ (左から)大庭達敏山口観光コンベンション協会会長、多々良実行委員長、齋藤宗房山口商工会議所会頭、渡辺クリスマス市長、の4人で点灯




 ↑ 渡辺純忠クリスマス市長によるあいさつ


 ↑ 約50人の子どもたちによるテーマソング「きずな」合唱





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Posted by かいさく at 19:13Comments(2)仕事