きょう、サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム。
山口市中河原町のC・S(クリエイティブ・スペース)赤れんがが、開館20周年を迎えた。
この建物は、県立山口図書館の書庫として1918(大正7)年に建設。
図書館移転後は県教育会の施設になり、その後アトリエとしても貸し出され、若手芸術家のサロンにもなっていた。
しかしながら1982(昭和57)年、所有する県が取り壊す意向を示し、それに対して保存再生運動「赤れんがの会」が立ち上げられた。
その約8年間にわたる活動が実を結び、「ふるさと創生事業」を活用しての県から市への移管および改修工事がなされ、1992(平成4)年5月に現在の形へと生まれ変わった。
同会発足時に事務局を任され、1991(平成3)年の改修時には設計を担当した今井徹也さんは、当時連日図書館に通い詰め、建物の設計者を捜し求めたという。
その存在意義を再確認するためで「大正6年度予算書から基本設計:佐野友三郎氏、実施設計:県技師藤本氏との事実を突き止めたのは、寒い時期でした」と振り返る。
「この建物は大正期における図書館建築学の細心の配慮をもって設計、先人の教育文化に対する敬意と情熱を象徴する歴史的意義を持つ。この象徴は今に生き続けるべきだし、生かすべき」というのが、1982年の県への陳情内容。
今一度、再確認しておこう。
さて、8月22日から26日にかけて「赤れんがの歩み展」が同館で開催されました。
1978(昭和53)年に創刊したサンデー山口では、「赤れんがの会」による保存活動など、たびたび取り上げていました。
書庫時代から今日にいたるまでを振り返ったこの展示でも、当時の記事がいくつか展示されました。
これからも「伝え続けて」いきたいと思います。
山口市中河原町のC・S(クリエイティブ・スペース)赤れんがが、開館20周年を迎えた。
この建物は、県立山口図書館の書庫として1918(大正7)年に建設。
図書館移転後は県教育会の施設になり、その後アトリエとしても貸し出され、若手芸術家のサロンにもなっていた。
しかしながら1982(昭和57)年、所有する県が取り壊す意向を示し、それに対して保存再生運動「赤れんがの会」が立ち上げられた。
その約8年間にわたる活動が実を結び、「ふるさと創生事業」を活用しての県から市への移管および改修工事がなされ、1992(平成4)年5月に現在の形へと生まれ変わった。
同会発足時に事務局を任され、1991(平成3)年の改修時には設計を担当した今井徹也さんは、当時連日図書館に通い詰め、建物の設計者を捜し求めたという。
その存在意義を再確認するためで「大正6年度予算書から基本設計:佐野友三郎氏、実施設計:県技師藤本氏との事実を突き止めたのは、寒い時期でした」と振り返る。
「この建物は大正期における図書館建築学の細心の配慮をもって設計、先人の教育文化に対する敬意と情熱を象徴する歴史的意義を持つ。この象徴は今に生き続けるべきだし、生かすべき」というのが、1982年の県への陳情内容。
今一度、再確認しておこう。
さて、8月22日から26日にかけて「赤れんがの歩み展」が同館で開催されました。
1978(昭和53)年に創刊したサンデー山口では、「赤れんがの会」による保存活動など、たびたび取り上げていました。
書庫時代から今日にいたるまでを振り返ったこの展示でも、当時の記事がいくつか展示されました。
これからも「伝え続けて」いきたいと思います。
Posted by かいさく at 19:16│Comments(1)
│稜線
この記事へのコメント
古き良き物をいつまでも大切にする、素晴らしいお話しですね(^^)/
Posted by みかみ まさお at 2012年09月01日 22:10
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