2018年4月6日付サンデー山口掲載「稜線」より
今年、福島県会津若松市では、明治維新ではなく「戊辰150周年記念事業」が展開されている。会津では、いまだに長州への遺恨が残っていると、しばしば耳にする。
その背景には、戊辰戦争後に「新政府軍が会津藩士の遺体の埋葬を許さず、半年間野ざらしにされた」との言い伝えがある。ところが昨年10月、同市在住の野口信一さんが、それを覆す史料「戦死屍取仕末金銭入用帳」を発見した。
それには、新政府は会津藩の降伏から10日後に埋葬を命令したとあり、567人の64カ所への埋葬が、詳しく記録されているそうだ。
「怨念」の要因は一つではないのだろうが、150年後の「雪解け」に期待したい。
http://sunyama.soreccha.jp/e429658.html
今年、福島県会津若松市では、明治維新ではなく「戊辰150周年記念事業」が展開されている。会津では、いまだに長州への遺恨が残っていると、しばしば耳にする。
その背景には、戊辰戦争後に「新政府軍が会津藩士の遺体の埋葬を許さず、半年間野ざらしにされた」との言い伝えがある。ところが昨年10月、同市在住の野口信一さんが、それを覆す史料「戦死屍取仕末金銭入用帳」を発見した。
それには、新政府は会津藩の降伏から10日後に埋葬を命令したとあり、567人の64カ所への埋葬が、詳しく記録されているそうだ。
「怨念」の要因は一つではないのだろうが、150年後の「雪解け」に期待したい。
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