石巻へ(2)からの続き
バスが20分程度走ると、松島付近の表情から一変。
震災によるつめあとが、いたるところで目につくようになりました。


バスには50分程度乗車し、矢本駅に到着。

ここから石巻までは、電車ではなく気動車での運行が再開されています。

「奥の細道号」は、15分ほどで石巻駅に着きました。

石巻市は、故・石ノ森章太郎とコラボしたマンガでの町おこしで有名な市でもあります。
改札の手前では、石ノ森章太郎による代表的なキャラクター、仮面ライダーとサイボーグ009(と001と003)とがお出迎え。

石巻へ(4)に続く
バスが20分程度走ると、松島付近の表情から一変。
震災によるつめあとが、いたるところで目につくようになりました。
バスには50分程度乗車し、矢本駅に到着。

ここから石巻までは、電車ではなく気動車での運行が再開されています。
「奥の細道号」は、15分ほどで石巻駅に着きました。
石巻市は、故・石ノ森章太郎とコラボしたマンガでの町おこしで有名な市でもあります。
改札の手前では、石ノ森章太郎による代表的なキャラクター、仮面ライダーとサイボーグ009(と001と003)とがお出迎え。
石巻へ(4)に続く
23日付サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム。
9日付本コラムで「多くの山口人は震災を実感できない」と書いた。
翌10日、初めて被災地へと赴いた。
向かった先は宮城県石巻市。
駅からは、とにかく海岸線を目指した。
震災当時は駅も水没。
ほど近い商店街もほぼ壊滅状態だったといい、その傷跡はいたるところに残っている。
まっすぐ進むと上り坂になり、しばらく歩けば日和山公園に到着。
すると眼下には、ほぼ何もない光景が、ただ広がっている。
ショックを受けつつも前に進み、坂を下りきったところで左に顔を向けると、燃え尽きて廃虚となった市立門脇小の姿が、目に飛び込んできた。
さらに、そこから海岸線までの平地を、ただ歩いていく。
結局、駅から岸壁にたどり着くまで、実に40分以上かかった。
そうして、報道を通じて理解していたつもりだったことが、間違いだとわかった。
これだけもの距離を津波が駆け上がるなど、直接歩いてみると、とても信じられないのだ。
岸壁には、子どもたちが2005(平成17)年10月に描いた「壁画大作戦」がそのまま残っていた。
海と「仲良し」だったのに、描いた何人かが犠牲になったのかもしれないと思うと、とてもつらいし、やるせない。
※現地の写真は、本ブログ内「石巻へ」シリーズに掲載していきます。
9日付本コラムで「多くの山口人は震災を実感できない」と書いた。
翌10日、初めて被災地へと赴いた。
向かった先は宮城県石巻市。
駅からは、とにかく海岸線を目指した。
震災当時は駅も水没。
ほど近い商店街もほぼ壊滅状態だったといい、その傷跡はいたるところに残っている。
まっすぐ進むと上り坂になり、しばらく歩けば日和山公園に到着。
すると眼下には、ほぼ何もない光景が、ただ広がっている。
ショックを受けつつも前に進み、坂を下りきったところで左に顔を向けると、燃え尽きて廃虚となった市立門脇小の姿が、目に飛び込んできた。
さらに、そこから海岸線までの平地を、ただ歩いていく。
結局、駅から岸壁にたどり着くまで、実に40分以上かかった。
そうして、報道を通じて理解していたつもりだったことが、間違いだとわかった。
これだけもの距離を津波が駆け上がるなど、直接歩いてみると、とても信じられないのだ。
岸壁には、子どもたちが2005(平成17)年10月に描いた「壁画大作戦」がそのまま残っていた。
海と「仲良し」だったのに、描いた何人かが犠牲になったのかもしれないと思うと、とてもつらいし、やるせない。
※現地の写真は、本ブログ内「石巻へ」シリーズに掲載していきます。
石巻へ(1)からの続き
仙台駅に到着したら、仙石線(せんせきせん)に乗り換え、石巻駅を目指します。

14時58分発の快速に乗車。
目的地が高城町となっているのは、そこから先がまだ不通区間だから。
不通区間には、代行バスが走ってます。



↑ 地デジ化完全移行のまだ完了していない被災地では、「地デジカ」がまだ活躍中です
代行バスには、終点の一つ手前、松島海岸駅で乗り換えます。

ここは日本三景の一つ、松島への最寄り駅。

バスの車窓からざっと見たところ、この辺りの被害はまだ軽そうに思えました。
(被災されたことは知っています。あくまでも比較論ですから、お気を悪くなさらないでください)

石巻へ(3)に続く
仙台駅に到着したら、仙石線(せんせきせん)に乗り換え、石巻駅を目指します。

14時58分発の快速に乗車。
目的地が高城町となっているのは、そこから先がまだ不通区間だから。
不通区間には、代行バスが走ってます。


↑ 地デジ化完全移行のまだ完了していない被災地では、「地デジカ」がまだ活躍中です
代行バスには、終点の一つ手前、松島海岸駅で乗り換えます。

ここは日本三景の一つ、松島への最寄り駅。
バスの車窓からざっと見たところ、この辺りの被害はまだ軽そうに思えました。
(被災されたことは知っています。あくまでも比較論ですから、お気を悪くなさらないでください)
石巻へ(3)に続く
前回の記事で触れたように、震災後初めて被災地へ、10日・11日に1人で行ってきました。
以前から、この目で一度は見ておかないと、子どもたちに教訓として残せない、とずっと思っていました。
すでに1年が経ってしまいましたが、ようやくその機会を得ることができました。
どこに行こうか迷ったのですが、公共交通機関を利用して足を運べるところは、まだ限られています。
そこで、なんとか行けそうな石巻市を選びました。
とはいっても、初めて訪れる場所です。
土地勘は全くないし、詳しい被害状況もわかりません。
と不安を感じていたら、ちょうどその日の読売新聞の朝刊に、石巻市の甚大な被害状況を解説した記事が掲載されていました。

ガイド代わりに、スマホで写真に収めて、いつでも読めるようにしました。
まずは飛行機で東京まで。

最新鋭のボーイング787型機に搭乗。
機内は広く、とても快適でした。
羽田空港到着後、大急ぎでモノレールに乗って浜松町へ。
駅に着いたら、ネット予約していた新幹線指定席券を「みどりの窓口」で購入です。
山手線で東京駅まで移動したら、いよいよ東北新幹線に乗車。
東北新幹線に乗るのは、実に20年ぶりくらい。
まだバブルの余韻のころ、東京から「新幹線スキー」で滑りに行ったのが最後でした。


↑ 行きで乗ったのは秋田新幹線「こまち」タイプ

↑ 「がんばろう日本! がんばろう東北!」

↑ 車窓から見る風景は、まだ雪が残っています

↑ 新幹線室内の様子
石巻へ(2)に続く
以前から、この目で一度は見ておかないと、子どもたちに教訓として残せない、とずっと思っていました。
すでに1年が経ってしまいましたが、ようやくその機会を得ることができました。
どこに行こうか迷ったのですが、公共交通機関を利用して足を運べるところは、まだ限られています。
そこで、なんとか行けそうな石巻市を選びました。
とはいっても、初めて訪れる場所です。
土地勘は全くないし、詳しい被害状況もわかりません。
と不安を感じていたら、ちょうどその日の読売新聞の朝刊に、石巻市の甚大な被害状況を解説した記事が掲載されていました。

ガイド代わりに、スマホで写真に収めて、いつでも読めるようにしました。
まずは飛行機で東京まで。

最新鋭のボーイング787型機に搭乗。
機内は広く、とても快適でした。
羽田空港到着後、大急ぎでモノレールに乗って浜松町へ。
駅に着いたら、ネット予約していた新幹線指定席券を「みどりの窓口」で購入です。
山手線で東京駅まで移動したら、いよいよ東北新幹線に乗車。
東北新幹線に乗るのは、実に20年ぶりくらい。
まだバブルの余韻のころ、東京から「新幹線スキー」で滑りに行ったのが最後でした。
↑ 行きで乗ったのは秋田新幹線「こまち」タイプ
↑ 「がんばろう日本! がんばろう東北!」
↑ 車窓から見る風景は、まだ雪が残っています
↑ 新幹線室内の様子
石巻へ(2)に続く
本日付サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム。
1年前の3月11日午後2時46分、観測史上最大級、マグニチュード9・0の「東北地方太平洋沖地震」が発生した。
10メートルを超える津波が東北・関東の太平洋岸を襲い、死者・行方不明者約2万人、建物の全・半壊37万戸以上、大量の放射性物質をまき散らす原発事故発生など、前代未聞の大惨事は「東日本大震災」と命名された。
幸いにしてここ山口では、震災後も平穏な日常が続いている。
そして、ショッキングな映像が連日テレビ画面から流されていたころと違い、最近は被害や復興の状況を頭で「理解」はしても、「感覚」は薄れる一方だ。
もちろん、ご自身や親族、知人が被災されたり、被災地に赴いて復興作業にあたられた方は、そのようなことはないだろう。
しかしながら多くの山口人は、余震の頻発する東日本に住む人たちと違い、地震の恐ろしさを肌で感じることができない。
被災地に足を運び、被害を目の当たりにすれば心境もまた変わるのだろうが、気軽に行ける距離でもない--。
「一つひとつ、それぞれに違った輝きを放つ、かけがえのない大切な生命が、一瞬で数え切れないほど失われていった…」。
これは、昨年3月18日の本コラムの書き出しだ。
このときの気持ちを忘れまいと、ここに再掲する。
P.S.10日と11日、被災地へ行ってきます。
1年前の3月11日午後2時46分、観測史上最大級、マグニチュード9・0の「東北地方太平洋沖地震」が発生した。
10メートルを超える津波が東北・関東の太平洋岸を襲い、死者・行方不明者約2万人、建物の全・半壊37万戸以上、大量の放射性物質をまき散らす原発事故発生など、前代未聞の大惨事は「東日本大震災」と命名された。
幸いにしてここ山口では、震災後も平穏な日常が続いている。
そして、ショッキングな映像が連日テレビ画面から流されていたころと違い、最近は被害や復興の状況を頭で「理解」はしても、「感覚」は薄れる一方だ。
もちろん、ご自身や親族、知人が被災されたり、被災地に赴いて復興作業にあたられた方は、そのようなことはないだろう。
しかしながら多くの山口人は、余震の頻発する東日本に住む人たちと違い、地震の恐ろしさを肌で感じることができない。
被災地に足を運び、被害を目の当たりにすれば心境もまた変わるのだろうが、気軽に行ける距離でもない--。
「一つひとつ、それぞれに違った輝きを放つ、かけがえのない大切な生命が、一瞬で数え切れないほど失われていった…」。
これは、昨年3月18日の本コラムの書き出しだ。
このときの気持ちを忘れまいと、ここに再掲する。
P.S.10日と11日、被災地へ行ってきます。
4月7日(土)開催の「第1回湯田温泉スリッパ卓球大会」(サンデー山口共催)に、なんと、サプライズな(遠方からの)チームからのエントリーがあったとのこと!!
報告を受け、全く予想だにしてなかったことなので、ビックリしました!

詳しくは、後日またお知らせします。
報告を受け、全く予想だにしてなかったことなので、ビックリしました!


詳しくは、後日またお知らせします。
この記事で紹介した「カキ小屋初体験」の後はこれも初体験、辛子明太子づくりに挑戦しました。
体験した場所は、その名も「辛子明太子道場」です。



↑ 1人4本・2腹分をつくります

↑ ビニール手袋、マスク、キャップ、容器等のキット
手が汚れるため、作業途中の撮影はできませんでした。
簡単に手順を説明すると、
1.各自明太子を容器に入れ、漬け汁を入れる
2.唐辛子(粗挽きと細挽きの2種類)、昆布、ゆず、その他トッピングを、各自好みの量加える
3.好みの酒を好みの量加える
わたしは、唐辛子多めで、お酒はワインを選択。
通常、市販されている辛子明太子は日本酒でつけ込んでいるそうです。
この「辛子明太子道場」には、日本酒、焼酎、ワイン、ブランデーなど、いろんなお酒が用意されているので、何回でも楽しめそうです(ちゃんぽんするのは止めた方が良いとのことでした)。

↑ 作業完了!
作業が完了したら容器のふたを閉め、自宅の冷蔵庫へ。
5日後には食べられるようになります。

↑ 容器を開けたらこんな感じ

↑ 上が市販の辛子明太子で下がお手製辛子明太子
そんなに唐辛子をぶち込んだつもりはなかったのですが、予想以上に辛かった。
でも、自分でつくったのは、(実際以上に)美味しく感じられました。
機会があれば、またやってみたいです。
体験した場所は、その名も「辛子明太子道場」です。



↑ 1人4本・2腹分をつくります

↑ ビニール手袋、マスク、キャップ、容器等のキット
手が汚れるため、作業途中の撮影はできませんでした。
簡単に手順を説明すると、
1.各自明太子を容器に入れ、漬け汁を入れる
2.唐辛子(粗挽きと細挽きの2種類)、昆布、ゆず、その他トッピングを、各自好みの量加える
3.好みの酒を好みの量加える
わたしは、唐辛子多めで、お酒はワインを選択。
通常、市販されている辛子明太子は日本酒でつけ込んでいるそうです。
この「辛子明太子道場」には、日本酒、焼酎、ワイン、ブランデーなど、いろんなお酒が用意されているので、何回でも楽しめそうです(ちゃんぽんするのは止めた方が良いとのことでした)。

↑ 作業完了!
作業が完了したら容器のふたを閉め、自宅の冷蔵庫へ。
5日後には食べられるようになります。
↑ 容器を開けたらこんな感じ
↑ 上が市販の辛子明太子で下がお手製辛子明太子
そんなに唐辛子をぶち込んだつもりはなかったのですが、予想以上に辛かった。
でも、自分でつくったのは、(実際以上に)美味しく感じられました。
機会があれば、またやってみたいです。
先々月、とある会で福岡県へ。
「今さら」なのですが、カキ小屋を初体験することができました。
訪ねたのは、糸島半島・船越漁協の「みわちゃんカキ」。

入口には、ホワイトボードにメニューが。

店内に一歩はいると、大量のカキがお出迎え!


↑ 1000円でこれだけ食べられます。



↑ このカラフルなのは、ヒオウギ貝。美味しかったですよ
飲み物、ご飯ものや調味料は持ち込み自由だし、リーズナブルだしで言うことありませんね。
われわれが入った午前10時にはまだ空席がありましたが、11時過ぎにはもう行列ができてました(日曜日)。
「今さら」なのですが、カキ小屋を初体験することができました。
訪ねたのは、糸島半島・船越漁協の「みわちゃんカキ」。
入口には、ホワイトボードにメニューが。

店内に一歩はいると、大量のカキがお出迎え!


↑ 1000円でこれだけ食べられます。



↑ このカラフルなのは、ヒオウギ貝。美味しかったですよ
飲み物、ご飯ものや調味料は持ち込み自由だし、リーズナブルだしで言うことありませんね。
われわれが入った午前10時にはまだ空席がありましたが、11時過ぎにはもう行列ができてました(日曜日)。