本日、サンデー山口の「稜線」というコーナーに掲載したコラム。
毎月15日、お盆であろうが祝祭日であろうが、必ずその日に開催する「楽天会」(福田礼輔会長)という会がある。
昭和40年代の中ごろ、当時の豆子郎社長・田原美介さんの発案で始まったというから、発足してからもう40年近く。
その目的は「会員相互の親睦と和を図ること」と会則に定めてあり、1982(昭和57)年ごろには60人近くが、現在でも約30人が参加。
わたしもメンバーになって15年近くになり、その前は父が長らくお世話になっていた。
さて、今月の会に、昔当紙で紹介した記事を3本ほど持っていき、皆さんに懐かしんでもらった。
最も古い1980(昭和55)年の記事を一部抜粋すると「野原旅館で開かれた3月の会合では、新装開店で京都から舞妓を招いていた『まつや』の松林圀良社長が2人を連れてきて踊りを披露、全員が大喜び。
日ごろは『一国一城の主』として忙しい人たちだが、この日だけは堅苦しい話は一切抜き。
設立以来の会員という吉兼一さんが『楽天会ほど楽しい会はない』と手放しで自賛する気持ちも分かる」とある。
当時とはメンバーもガラリと変わっているが、このような会が長く続くところに山口市の良さがあるのだろう。
今後も折に触れ、いろんな集まりや人物を、紙面に取り上げていきたい。
このブログでも楽天会のことを取り上げています。
この記事と、この記事です。
毎月15日、お盆であろうが祝祭日であろうが、必ずその日に開催する「楽天会」(福田礼輔会長)という会がある。
昭和40年代の中ごろ、当時の豆子郎社長・田原美介さんの発案で始まったというから、発足してからもう40年近く。
その目的は「会員相互の親睦と和を図ること」と会則に定めてあり、1982(昭和57)年ごろには60人近くが、現在でも約30人が参加。
わたしもメンバーになって15年近くになり、その前は父が長らくお世話になっていた。
さて、今月の会に、昔当紙で紹介した記事を3本ほど持っていき、皆さんに懐かしんでもらった。
最も古い1980(昭和55)年の記事を一部抜粋すると「野原旅館で開かれた3月の会合では、新装開店で京都から舞妓を招いていた『まつや』の松林圀良社長が2人を連れてきて踊りを披露、全員が大喜び。
日ごろは『一国一城の主』として忙しい人たちだが、この日だけは堅苦しい話は一切抜き。
設立以来の会員という吉兼一さんが『楽天会ほど楽しい会はない』と手放しで自賛する気持ちも分かる」とある。
当時とはメンバーもガラリと変わっているが、このような会が長く続くところに山口市の良さがあるのだろう。
今後も折に触れ、いろんな集まりや人物を、紙面に取り上げていきたい。
このブログでも楽天会のことを取り上げています。
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Posted by かいさく at 16:25│Comments(0)
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