23日付サンデー山口山口版の「稜線」に掲載したコラム。
9日付本コラムで「多くの山口人は震災を実感できない」と書いた。
翌10日、初めて被災地へと赴いた。
向かった先は宮城県石巻市。
駅からは、とにかく海岸線を目指した。
震災当時は駅も水没。
ほど近い商店街もほぼ壊滅状態だったといい、その傷跡はいたるところに残っている。
まっすぐ進むと上り坂になり、しばらく歩けば日和山公園に到着。
すると眼下には、ほぼ何もない光景が、ただ広がっている。
ショックを受けつつも前に進み、坂を下りきったところで左に顔を向けると、燃え尽きて廃虚となった市立門脇小の姿が、目に飛び込んできた。
さらに、そこから海岸線までの平地を、ただ歩いていく。
結局、駅から岸壁にたどり着くまで、実に40分以上かかった。
そうして、報道を通じて理解していたつもりだったことが、間違いだとわかった。
これだけもの距離を津波が駆け上がるなど、直接歩いてみると、とても信じられないのだ。
岸壁には、子どもたちが2005(平成17)年10月に描いた「壁画大作戦」がそのまま残っていた。
海と「仲良し」だったのに、描いた何人かが犠牲になったのかもしれないと思うと、とてもつらいし、やるせない。
※現地の写真は、本ブログ内「石巻へ」シリーズに掲載していきます。
9日付本コラムで「多くの山口人は震災を実感できない」と書いた。
翌10日、初めて被災地へと赴いた。
向かった先は宮城県石巻市。
駅からは、とにかく海岸線を目指した。
震災当時は駅も水没。
ほど近い商店街もほぼ壊滅状態だったといい、その傷跡はいたるところに残っている。
まっすぐ進むと上り坂になり、しばらく歩けば日和山公園に到着。
すると眼下には、ほぼ何もない光景が、ただ広がっている。
ショックを受けつつも前に進み、坂を下りきったところで左に顔を向けると、燃え尽きて廃虚となった市立門脇小の姿が、目に飛び込んできた。
さらに、そこから海岸線までの平地を、ただ歩いていく。
結局、駅から岸壁にたどり着くまで、実に40分以上かかった。
そうして、報道を通じて理解していたつもりだったことが、間違いだとわかった。
これだけもの距離を津波が駆け上がるなど、直接歩いてみると、とても信じられないのだ。
岸壁には、子どもたちが2005(平成17)年10月に描いた「壁画大作戦」がそのまま残っていた。
海と「仲良し」だったのに、描いた何人かが犠牲になったのかもしれないと思うと、とてもつらいし、やるせない。
※現地の写真は、本ブログ内「石巻へ」シリーズに掲載していきます。
Posted by かいさく at 11:21│Comments(0)
│稜線
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