毎年、必ず購入するのが文藝春秋編「日本の論点」







1994年の社長就任以来毎年買ってるので、本棚にはズラリ、この通り!




  


Posted by かいさく at 15:15Comments(2)仕事
「湯田温泉の街に、アートが出現。」

と、鳴り物入りで11月21日にスタートした「YUDA ART PROJECT」ですが、なぜかイマイチ盛り上がってない感じが…face07

ホテル松政の前に設置された「巡礼端末」の巨大スクリーンには色んな顔が投影されているのですが、足を止めて画面を見る人もちょっと少なめか?





先日、中原中也記念館前の「Array」に、初めて足を踏み入れることができました。

午後9時半くらいでしたが、係員以外誰もおらずちょっと寂しい感じ

「観客の動きに呼応するLEDの光とサウンド」との触れ込みでしたが、自分1人だとあまり呼応してくれないし…。

でも、もうちょっとだけにぎわってたら、ワクワク度もかなり変わってきそうです。



会期は12月27日までなので、あと10日あまり。

まだ行かれてない方は、ぜひ「おいでませ!」face02


山口市外にお住まいの方は、「日本のクリスマスは山口から」とセットでぜひ!


地図はこちら

  


Posted by かいさく at 21:18Comments(0)山口市

2008年12月15日

「ザウルス」消えゆく

14日付読売新聞の中に「『ザウルス』消えゆく」という囲み記事がありました。

引用しますと

「シャープが、1990年代に大ヒットした携帯情報端末(PDA)『ザウルス』の生産を停止していたことが13日、わかった。
在庫がなくなり次第、販売も中止し、修理などのアフターサービスのみ続ける。
ザウルスは93年に発売され、液晶画面にタッチパネル方式で文字などを入力できる仕組みをいち早く採用するなど、日本のPDAの草分け的存在だった。
ソニーやカシオ計算機などの参入で、PDA市場は2000年に100万台まで急拡大した。しかし、パソコン並みの機能を備えた携帯電話「スマートフォン」の登場などで市場が縮小し、シャープも06年3月のモデルを最後に新製品の発売を取りやめていた」

との内容です。






写真は、わたしが現在愛用している「ザウルス SL-A300」
用途は、外出先でのスケジュール確認です。

スケジュールは紙ではなくPC上のアウトルックで管理しているため、外出時にはその持ち出しが必須。
アウトルックとスケジュールが共有でき、かつ薄くて軽量のこの機種は、ものすごく活躍してくれてます。

ただ、2002年に購入したものなので、バッテリーの寿命が近づいている様子。
買ったときにはフル充電で数日大丈夫だったのが、ここのところ1日程度しかもちません。
銀色の塗装がはげ、白地がところどころむき出しになってる写真の様子からも、その使い込み度はおわかりいただけると思います。


そんな矢先の、このニュースでした。



わたしは、これまでにシャープ製の電子手帳3台、そしてザウルス3台を使用してきました。


最初に持ったのは、学生時代。
1987年に発売された「PA-7000」という同社製電子手帳の“元祖”です。
次は 1989年発売の「PA-8600」で、社会人になって1992年「PA-X2」を購入。

当時はウインドウズもまだない時代ですから、スケジュールや住所録の管理等で大活躍。
スロットに入れる専用カードも購入し、テトリスやゴルフゲームなんかも楽しんでましたface02


そして、初めて購入したザウルスは、1994年発売の「PI-5000」
愛称は「アクセスザウルス」で、電話回線による「ニフティサーブ」等パソコン通信が可能に。

次に買ったのが「パワーザウルス」の愛称で知られた「MI-506DC」1997年発売)。
35万画素のデジカメも付属しており、定価はなんと16万8千円face08と高価。
専用キーボードも購入し、モバイルでの記事制作などにも活用してました。
そして、最後のザウルスが、前述のSL-A300です。



思えば、パソコンがまだそれほど普及していなかった時代には、電子手帳やPDAの存在意義は確かにありました。

でも、PCの普及や携帯電話の高機能化という流れの中で、「時代遅れ」の産物になってしまったのですね。


わたしも、SL-A300の寿命が尽きれば、携帯電話をスマートフォンに買い換えたいと思います。



なんか一つの時代が終わったようで、一抹の寂しさを感じてしまいました。
  


Posted by かいさく at 18:45Comments(2)よもやま話

2008年12月13日

現在仕事中

土曜の夜。

この記事でも書いた「日本のクリスマスは山口から」のイルミネーションもきれいに瞬いているであろうこの時間、わたしはスタッフとともに会社で仕事中です。


ご存じの方も多いと思いますが、1月1日付サンデー山口は、毎年超スペシャルなボリュームでお届けしています。

12月は、毎週3回発行している通常版に加え、新年号の準備も進めるために、毎土曜も出社日としているのです。


山口市にお住まいの方々、楽しい企画満載でお届けしますので、楽しみにしてて下さいね(^_^)/~

  


Posted by かいさく at 20:34Comments(0)仕事

2008年12月12日

大村時計めがね店




先日、愛用している時計、オメガ・コンステレーションのベルトのパーツが壊れてしまいました。


 ↑ 赤丸で囲った部分


そこで山口市内の時計販売店に持っていき修理を依頼したところ、「ウチではムリです。メーカーに送らないと」と断られてしまいました。
もしそうすれば、ベルト交換で数万円はかかるだろうとのこと。
全体が壊れたわけでもなく、それはたまりません。



そこで駄目元と思い、山口市小郡にある「大村時計めがね店」へ。

ここは、公認高級時計師(CMW)のいる時計店として、知る人ぞ知る存在なのです。



公認高級時計師(Certified Master Watchmaker)とは、1954(昭和29)年から実施された最難関の時計技術試験
これまでの合格者は日本で約800人でした。
なぜ過去形かというと、1981(昭和56)年以降はクオーツ時計の普及もあって1人の合格者も出ず、現在では試験制度そのものが中止されているから。
つまり、今後増えることは考えられないし、これまでに亡くなられた方々の人数も考えると、非常に貴重な存在なのです。

この試験の発祥の地はアメリカ。
米国時計学会日本支部を設立、CMW試験を開催することによって、時計職人全体の技術底上げや時計産業の復興を目的としたようです。
試験は、1次、2次にわたり延べ5日間。
難関かつ多岐にわたる課題をクリアした人だけが、その名誉ある称号を名乗ることができます。
言葉がしゃべれなくとも「亡命した国で、次の日から仕事ができる唯一の資格」とも呼ばれているそうです。

大村益穗さん(76歳:08年12月時点)は第2次大戦中、学徒動員で人間魚雷「回天」の部品製造を担当。
戦後、そこで覚えた旋盤技術を生かして時計技師になられました。
CMWマイスターとなったのは1960(昭和35)年で、登録番号は8155です。





彼の元には、全国各地から故障した機械式時計が送られてきます。
わたしが訪ねたときには、ちょうど横浜から送られてきたロンジンを修理中。
遠くは盛岡からの時計も預かり中で、特に多いのは九州、四国からだとのこと。
また、これは県内ですが、からは明治時代の掛け時計の修理依頼もありました。



さて、オメガのベルト修理に話を戻します。

大村さんは状態を見られて「ほかに小さなパーツはなかった?」と聞かれました。
そんなものは見ていないので、どうやら壊れたときに紛失してしまったようです。
というか、内部にそんなパーツが入っていたこともこっちは知らないのですが(^_^;
どこにいた時壊れたのかも把握しておらず、もう見つけることはできません…。

「パーツがないならあきらめようか」と思いはじめた時、大村さんから返ってきた言葉。

「パーツをつくってみよう。交換すると高くつくからね」

さすが、CMW!
感涙モノです。
ありがたくも、ホントに直るのかどうか半信半疑のまま、時計を預けて帰りました。



そして待つこと1週間。
大村さんから電話が。
「直りましたよ」と。



受け取りに行くと、見事に修理されていました。
まさか、まさかの喜びです。
感謝、感謝です。
費用もわずか数千円ですみました
そのうえ機械部分も点検していただき、「問題ないから」と。


遠方の都会から、郵送で修理を依頼される方も多いのに、すぐ近くで大村さんのサービスを受けられるなんて幸せだと、しみじみ感じました。




近いうちに、最近動かなくなってしまった祖父の形見の時計を修理に持っていこうと思った次第です。





この内容、きょう付けのサンデー山口コラム・稜線では以下のように紹介しています。


先日、愛用している腕時計のベルトパーツが壊れた。

そこで市内の時計販売店に修理依頼したところ「ウチではムリです。メーカーに送らないと」と断られてしまった。

ただし修理ではなく交換となり、数万円はかかるだろうとのこと。


そこで、最難関の資格「公認高級時計師(CMW)」を持つ大村益穗さんに駄目元で頼もうと、新山口駅在来線口近くの「大村時計めがね店」を訪ねた。

彼の下には、全国各地から故障した機械式時計が送られてくる。

わたしが訪ねたときにも、盛岡や横浜から送られてきた腕時計や、萩からの明治時代の掛け時計を修理中だった。


大村さんはベルトの状態を見て「ほかに小さなパーツは?」と質問。

どうやら壊れたときに、数ミリの部品を紛失してしまったようだ。

「あきらめようか」と思った時、大村さんから返ってきた言葉は、まさかまさか「パーツをつくってみよう」だった。

そして1週間後、「直りました」との連絡が。

それだけでなく、本体の機械部分まで点検していただいた。


さまざまな機械が「使い捨て」されるようになって久しいが、「修理して使う」方が尊いに決まっている。

大村さんのような存在は、もっともっと評価されるべきだと思う。


地図はこちら
  


Posted by かいさく at 15:12Comments(3)稜線
昨夜は、湯田温泉のプラザホテル寿で、「山口青年会議所OB会さよならパーティー」が催されました。


さまざまな年齢のOB・OG、総勢約70人で今年の最後(“さよなら”とはそういう意味です)にワイワイ盛り上がりました。





 ↑ ゴスペルクワイアの方々によるライブも!


わたしは体調不良(風邪)のため早々に帰宅しましたが、2次会、3次会へと繰り出し、お金の循環に貢献された先輩方も多かったのではないでしょうか。


地図はこちら
  


Posted by かいさく at 14:41Comments(0)山口市

2008年12月09日

26位!

みなさんに呼びかけた漢検DS2の「都道府県対抗漢字バトル」

わたしは時間がとれず、最近全くできておりませんでしたface07

しかしながら、先ほど順位を確認したところ、28位から2つ順位が上昇し、ついに26位に!(08年12月9日時点)


前回記事にコメント寄せていただいたむめもさんのおかげでしょうか。

次は、25位のお隣・島根県がターゲットだ!icon09

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タグ :漢検DS


Posted by かいさく at 18:00Comments(2)仕事

2008年12月08日

松田屋ホテル



5日(金)、松田屋ホテルでのとある忘年会にお招きいただきました。

われわれのように小規模な会社の経営者では、なかなか利用することのできない施設。
行けるのは年に1、2回といったところです。


歴史ある大広間での酒宴は、とてもぜいたくな気分に。


年内の利用は、これで最後になりそうです。


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Posted by かいさく at 11:51Comments(0)会合・食事処-山口市湯田

2008年12月05日

健麺世代・チーズ味

久しぶりの韓国カップラーメンネタ

今回は5月の釜山訪問時に購入した健麺世代・チーズ味です。








味は、もっとチーズチーズしてるのかと思ってたのですが、食べると柔らかい辛さが!face08
「キムチラーメンにチーズを入れた」という印象かな。
日本にはない、興味深い味わいでした。


毎日なら遠慮したいけど、たまになら食べてみたいカップ麺です。
  


Posted by かいさく at 16:16Comments(0)食べ物

2008年12月03日

やっと…

11月25日(火)から12月2日(火)までの8日間、週末も含めて毎晩会合でした。

これだけ続くとちょっとしんどいface07
でも、やっとなんとか乗り切りました。

2日間空き、また金曜の夜は忘年会の予定が入ってます。
その後は日程的に飛び飛びなので、たぶんなんとかなるでしょうface02


 ↑ 昨夜、とある社長宅で開催された会合での「仕出しのかとう」のお膳  


Posted by かいさく at 13:27Comments(0)仕事